結婚記念日雑感

全くの雑談ですが、明日は28回目の結婚記念日になります。お互いに「長いね」と話しています。もともと同業で一緒にいる時間が特に長い。結婚記念日といっても、結婚式はを挙げたわけではありません。28年前も4月20日は日曜日。私は静岡のこども病院に、家内は彦根市立病院小児科に勤務しており、お互いに忙しくて時間が取れない。日曜は市役所に日直の職員がいて婚姻届を受理してくれるというので、彦根市役所に行き、帰りに白山神社という小さな神社で手を合わせただけ。私の母は、結婚相手の名前も年齢も聞かず、電話で「おめでとう」と祝福。私は儀礼が嫌いな性格なので、とても満足でした。いい加減なものですが。
私は集団に入ると、そのメンバーの性格や思考のデータをすぐに集めます。大学の同級で、データが集まらなかったのは3名だと記憶しています。その一人が家内で、6年間一度も口を聞いたことも、挨拶をしたこともなし。卒業する直前の3月末、友人宅で国家試験の勉強をしていて、夕食を食べようということになり、暗い道を通って大学の近くの食堂(今のようなファミレスのない時代ですから)へ。その路地に面した下宿から、風呂おけを持って(当時は風呂付の部屋はほとんどなく、学生は銭湯へ)でてきた人物とぶつかった。暗闇で顔を見て、あれ同級生ではという話に。そのぶつっかたのが家内。1秒ずれていたら、一度も口を聞くことはなかったはず。偶然とは本当におもしろい(恐ろしい?)と感じています。その1年後に結婚。
「データはとれなかったね」というと、家内は「医学部は変わった人が多いので、ほとんど口をきかなかった」とのこと。結婚後の1年間は別居でしたが、今は3人の娘も成人し、二人でスローライフを楽しんでいます。でも、仕事は忙しいですね。長々と雑談を書きました。
(追伸)
多くの「拍手」と。お祝いのコメントをいただき、本当に感謝しています。一仕事を終え、家内とのんびり明大前まで散歩にでかけ、軽く食事をしながら、この28年を振り返ってしまいました。子育てはとても楽しく、いささか楽しみ過ぎたかな?と反省しました。家内は「ひょっとしたら、一番変わっている人と結婚したのかも」と言っておりました。

待つことの意味論

新学期になって、新たな勉強が始まりますね。昔は今のようにコンビニやファミレスがなかった時代、バイトといえば家庭教師でした。私は教えられるのが大嫌いで、授業中も「何か寝言を言っている」と思って、ほとんど居眠りばかり。でも、もっと嫌いなのが「教える」ということ。だから、家庭教師はほとんどやったことがありません。でも、時には頼まれて、断れないことも。
母から教え子の面倒を見るようにと頼まれ、大学2年の夏休みに、私の自宅で教えることに。30分ほどして、お茶を運んできた母が、「勉強はここまで。もうやめましょう」と言って、急に家庭教師は頓挫。後で母が「人を教えるのには本当に向かないね。教育というのは待つことだよ」と言いました。相手ができるまで静かに待つ、これが教育の基本だと。これは正論。でも嫌いなものは嫌いと当時は思っていました。
全く同じことを言われたのが、子供ができてから。「子育ての基本も待つこと。待てない親は子育てに向かない」。子供ができないと、すぐに手を出す、口を出す。先回りしていろいろ教える。これが子供をスポイルする。家庭教師の件は十分に納得していましたが、子育ての時は実感がわきませんでしたね。でも、最近この「待つこと」大切さを実感しています。待つには忍耐と時間が必要です。このあわただしい時代に、「待つ」ことは難しく、それほど余裕のあるお母さん、お父さんは少ないかもしれません。現代の子供たちが抱える心のトラブル、この「待てない子育て」が大きな原因ではないかと思っています。
待てない代表の私ですが、家内は私のことを「白衣を着ると、本当に我慢強いし、待てるよね。白衣を脱ぐと全く別人」と言っています。だって、白衣は私の戦闘服ですからね。