20周目の走行

2日早いのですが、書く時間が取れないかもしれませんので。6月30日の診療を終えると、開業19年目を無事に終了することに。7月1日から、開業20年目に入ります。昨年も書きましたが、トラックを19周走って、20周目に突入といったところでしょうか?19年間、大きなトラブルもなく仕事ができた事は大変うれしく、支えてくれた患者さんとスタッフ、家族に感謝しています。大晦日の6月30日の夜は、家内とスタッフ全員で会食をすることに。19年前の7月2日(1日が日曜日)から、苦楽をともにしてきたスタッフもいます。19年を振り返って、ケジメをつけたいと思っています。
開業にあたって、まずクリニックの名前をどうするか?という問題がありました。この点は家内も私も「三宅小児科」で一致。地名を入れるのは論外。個人名を付けることが存在の証。小児科については、いろいろアドバイスがありました。当時は小児科だけの標榜は少なく、三宅クリニック、三宅医院とすると、大人も子供も、皮膚科も内科も診察できる。「小児科」にすると、患者数が少なくなるというアドバイスもありましたが、私も家内も全く受け付けず。「専門性の高い開業医の時代が来る」と確信していましたので、「三宅小児科」で決まり。標榜は「小児科」のみ。この判断は正しかったと思っています。
当時は医療法で宣伝は電柱広告と駅の看板だけ。最近では新聞の折込みチラシに、「新規開業」の文字が見られます。これは10年ほど前の規制緩和で、1回に限って宣伝できるようになったからです。今ではホームページを作って宣伝できますが、これも規制緩和。当時はネットも全く普及していませんでした。全く知らない土地での開業で、存在を知らせる手段もなく、最初は大変でした。でも、折込みチラシやネットを使っても、ほとんど宣伝にはならないですね(時代遅れで、当院のホームページはありませんが)。
患者さんの多くは「クチコミ」で来院されます。この「クチコミ」には、お世話になったと思っています。支えていただいた皆さんに感謝ですね。丁寧に話を聞き、納得がいくまで説明する。正確な診断に基づく、適切な治療。それに、人間性というスパイス。これが医療の原点だと思っています。この点を再確認して、20年目に突入。20周目の走行、宜しくお願い致します。

明日は不在になります

明日(日曜日)は朝からでかけ、帰宅は夜になる予定です。診療はできませんのでご了解下さい。帰宅後に時間があれば、「20周目の走行」というタイトルでブログを書きたいと思っています。6月30日で開業して19年目が終了し、7月1日から20年目に入ります。

なぜ、小児科を選択したのか?

小児科を専門にしてちょうど30年。「なぜ、小児科を専門にしたのか?」という問いに答えなくてはならないと思いつつ、筆が重い(というより、このテーマは気持ちが乗らない)。理由は、ほとんど考えた記憶がないからです。今のように小児科医の不足(現実には不足していない)は騒がれていませんでした。当時は少子化は避けられないとの風潮があって、産科と小児科は需要が低下するとの予測。この数年の産科医、小児科医の不足は全く想定外の現象ですね。
小児科を選んだ理由は、おそらく
1) 人間の全身を診たい。
2) 外科系は大好きで、性格に合っていると思ったが、上下関係が厳しい。自由人で思ったことを口にする性格なので、上司と衝突して続けられないだろう。
3) 内科は「人の死」と付き合わなくてはならない。病気のゴールは、極端に言えば「死」。やりたい仕事ではない。
この3つの条件を満たすのは小児科と考えたから?全くのマイナス思考。当時から「小児科は仕事がきつい割りには、報酬的にも報われない」のが定説。でも、そのように思ったことは一度もありません。0歳から大人になるまで、子供の成長に付き合えることは、本当に楽しいし、とても報われる仕事だと思っています。子供たちが健康に育つことを、少しでもサポートできれば十分に満足。子育てをするお母さんを、少しでも手助けできればとてもうれしい。娘たちにも「小児科はいいよ」と話しています。

東京散歩。今週の待ち時間

全般的に静かな診療が続いています。わずかに流行している病気は、溶連菌感染症とプール熱。インフルエンザは当然ゼロ。健診と予防接種がお薦めです。新日本脳炎ワクチンは入手できていますので、接種希望の方はどうぞ。今週の待ち時間は0から15分を予想しています。今度の日曜日は学会のため外出。1日不在になります。以下、おさらいです。
溶連菌感染症:ノドに溶血連鎖状球菌が付いて発症。カゼではないので、鼻水やセキはでない。発熱、「ノドが痛い」「頭が痛い」「気持ちが悪い」などの症状がある。
プール熱:咽頭結膜熱という。アデノウイルスによる感染症。突然の高熱から発症。セキや鼻水は2,3日後から。高熱が4日ぐらいと鼻づまりの病気。
以下、雑談です。
18日の木曜日、午後に用事で新宿と神田へ。例の如く中央線の信号トラブルのため、神田へは山手線で。早く用事を済ませ、汐留にある恩賜浜離宮公園を散策に。歩いていると、水上バス乗り場を発見。浅草まで往復してみることに。日の出埠頭経由、隅田川を遡り浅草まで。水がにごって、臭いもきついのが欠点。水上から築地市場、聖路加病院、両国国技館、同愛記念病院などの景色(?)を楽しみました。神田川が合流する地点も確認。
再び、浜離宮公園に戻って、公園を一周。新橋駅から東京駅に戻って、皇居の周りを家内とテクテク。九段下まで歩いて、そこから電車で新宿へ。思わぬ東京散歩ができました。
2009.6月 父母東京散歩&知姉誕生日☆ 023
隅田川を水上バスで上流へ。船の後尾からの景色。巨大なマンション群と隅田川中央大橋が見える。

「教えられたくない」症候群

新型インフルエンザに対する「発熱相談外来」は廃止の方向へ。いずれ我々医療機関が、季節型インフルエンザと同じように診断して治療する方針に。仕事はし易くなり、患者さんにとっても利便性は増すと思います。なお、来週の日曜日は学会のため不在になり、診療はできません。以下、雑談です。
30年前、小児科医として2年間の研修が義務付けられた。1年間は大学で、もう1年は大学以外の、いわゆる外(そと)病院での研修。私は1年目に外病院に出ることに決定。候補の病院が10近くあった。私は九州出身(候補の病院は九州にもあった)。しかし、そこはへそ曲がりの本領、「逆の方向の一番遠い所」を希望。静岡県立こども病院の研修医として、6月1日から勤務することになった。拘束時間はとても長く、月に7日以上は当直していた。
2年目の大学での研修は拒否。その後、いろいろな事情が重なって、一度も大学に戻ることはなかった。もともと、教えられることも嫌い、教えることはもっと嫌いという性格。大学に戻らなかったことには、とても満足している。ずっと勉強したい人、裏を返せば、教育にロマンを感じる人を、私は「「教えられたい」症候群、「教えてあげたい」症候群と呼んでいた。私自身は逆の「教えたくない」症候群であり、「教えられたくない」症候群であった。その話をすると、家内は「人のいうことは素直に信じないし、教えるのは面倒って顔をしている」と。研修医時代、私を指導していた先輩たち(指導医)は苦労したはず(はずではなく、苦労したのだが)。指示されても「はい」と返事をして、違うことをやるし、いろいろ文句をつける。これも大いに反省している。
逆に、人と議論をするのは大好き。人の話を聞いて考える、自分の頭で考える、これも得意で大好き。医師の仕事は患者さんからの話を聞いて、それを頭の中に整理して分析、そして判断を下すという作業。とても楽しく、集中できる。学校で授業を受けるのとは、全く異質の作業。臨床医になって本当に良かったと思っている。

小児科医になって30年

2日ほど前に、「昔の国家試験は4月で、合格発表は5月だったね」という話をしていたら、医師になってちょうど30年に経ったことに気づきました。現在は2月に国家試験で、3月に発表、4月から仕事になるのですが、当時は6月から仕事。卒業が1979年なので、まるまる30年間仕事をしたことに。この6月から31年目に突入。
卒業して6月から静岡県立こども病院の研修医として赴任。最初に感染、免疫、アレルギー科に3か月、その後血液腫瘍科、新生児科、神経科、循環器科、遺伝科、麻酔科、代謝科などを2年間研修し、感染、免疫、アレルギー科に勤務することになりました。
30年前の研修医になって、最初に担当した子供たちの名前は全員覚えています。すでに35歳前後なっているはず。最初から小児科なので、小児科医として、30年間生きてきたことに。多くの思い出と、誇りを持っています。この30年、仕事を休んだのは3日ですね。1981年のゴールデンウィークに、何と風疹にかかって2日(出勤停止。ゴールデンウィークに重なったため、わずか2日)。8年前に体調を崩して1日。病気の中で生活しているので、多くの病気にかかってきましたが、何とか無事に生き延びています。頑丈な身体に感謝?でしょうか。

長男と次男

前のブログを見て家内が「キリギリスの話が連絡事項になるの?」。私「インフルエンザやワクチンの話より、キリギリスが大事に決まってる」と言ったところ、「そう言うと思ったわ」と笑っていました。
政治家の次男坊、自己主張が強く、目立ちたがり?子供たちを見ていると、長男と次男は性格が全く違いますね。長男は親が手をかけて育てたこともあって保守的、よく言えば安定感があって、無茶はしない。周りを見て配慮はできる。でも、親から見ると、マイペースが気にかかるし、なぜか手もかかる。次男坊は好き勝手でも、世渡り上手。兄を見ているので、親の癇に障ることはしない。
男の兄弟は、大きくなっても仲の悪い事が多いですね。結婚すると、奥さん同士がうまくいかないこと、さらに仲が悪くなる(この政治家の場合も同じ?)。例外的に仲の良い兄弟もあります。兄が優しく、弟を殴ったりしなかった場合です。弟は兄を尊敬し、仲がよくなります。でも、稀ですが。
私は姉と弟の関係ですから、姉は優しく、私は甘えん坊で、人の言うことは聞かず。でも、人間関係はうまく立ち回る。母は「調子がいいだけ」と評していました。一人っ子、姉弟、兄妹、兄弟、姉妹、いろいろパターンがありますが、性格には大きな影響がありますね。でも、大人になって仲良く、協力し合ってというのが、親としては一番ではないでしょうか。
話が脱線しましたが、話題の政治家の兄弟、きっと仲は良かったのではないか?と推測しています。趣味は二人とも切手と蝶の収集。クジャクタテハを見て、蝶に興味を持ったと聞いたことがあります。私がクジャクタテハを見たのは、小学校の5年生の時。転校してきた友人から標本を見せてもらったのが最初。寒い所を好む蝶なので、九州ではなじみがありませんでした。昨年の9月に浅間山の麓でクジャクタテハを写真に。収集して標本にするのは、中学で卒業しました。「見て楽しむ」ですね。今回何をテーマにしているのか?このブログの収拾がつかない!
2008年9月 036

日曜診療と連絡事項

今日(土曜日)は予想に反して忙しく、ご迷惑をおかけしました。特別な病気が流行っているわけではないのですが。点滴などがあって、時間がかかったのも一因です。仕事が終ってブログを書こうとしたら、ブログサーバーのトラブルのため断念。夕方にやっと書くことができました。以下、連絡事項です。
1) 明日(6月14日、日曜日)は午後3時30分から4時までの30分間診療します。お困りの方はどうぞ。
2) 先の話ですが、6月28日(日曜日)は朝から学会のため、不在となります。帰宅が遅くなるため診療はできません。
3) 当院ではインフルエンザの症例はありません。待ち時間も0から15分ぐらい。但し、土曜日は例外です。
4) 病気の流行もなく、健診と予防接種がお薦めです。
5) 新日本脳炎ワクチンも十分に入手できていますので、ご希望の方はこの季節に。接種票のない方は取り寄せて下さい。
6) キリギリスのピー君、2週間前から「ギーギー」と元気に鳴いています。私はかわいいと思っているのですが。
7) オオクワガタの幼虫もすべてサナギになりました。外に出てくるのは7月中旬の予定。
8) 梅雨はアジサイの季節。散歩しながら、紫や赤、白のアジサイを楽しんでいます。

新型インフルエンザとタミフル

あまり話題にはならなくなりましたが、新型インフルエンザの流行はまだ続いているようです。当院では当然ゼロ。フェーズ6に引き上げられる可能性がでてきました。そこに、新型インフルエンザワクチンの話題も。
1)今期は従来の季節型インフルエンザワクチン(A型2種とB型1種を含む)は2800万本作る予定。但し、新型インフルエンザワクチンの製造のあおりで、製造本数は少なくなる可能性がでてきた。
(コメント)
新型インフルエンザワクチンを接種して、季節型を接種しない人もいるはず。「ワクチンが足らない」と騒ぐ事態にはならないのでは?私のインフルエンザワクチンに対する考えは、昨年度のブログで詳しく述べていますので、参照して下さい。
2)新型インフルエンザワクチンを2500万本製造する予定である。
(コメント)
新型ワクチンの流通がまだ不明。医療関係者などが優先になるのか?右腕に季節型、左腕に新型を同時接種という可能性がでてきた。それぞれ2回接種なので、患者さんの経済的負担と、副反応(腫れるなどの)を考えると憂鬱になる。
3)タミフルと異常行動との因果関係は証明されなかった。
4)10代のタミフルの使用は禁止のまま。
(コメント)
因果関係が証明されなかったにもかかわらず、使用は禁止。全く意味不明。調査の意味が解らない。税金の無駄使いとしか言いようがない。
5)新型インフルエンザにはタミフルは有効らしいので、10代での使用は大目にみる?
(コメント)
支離滅裂で話にならない。お役所が異常行動?

記憶にない失言

昨日の友人の通夜は、大変盛大なものであった。大学関係者が多かったのか、知り合いはわずか1人(東京からいっしょに参列した友人を除いて)。その知り合いに「彼は開業して順調だったのか?」と質問した。「誰もが羨むくらい盛況で、借金もなかったと聞いている」とのこと。それを聞いて、私の心のひっかかりが取れていくのを感じた。
東京からの友人と、東横線―都営三田線を乗り継いで、友人の縄張りの神田神保町に移動。彼の行きつけの焼き鳥屋で、久しぶりに話し込んでしまった。大学で整形外科を教えている、生き方の全く違う友人と、積もり積もった話に。同じ年なので親の介護の話題にも。ついでに「親が伝えたかった一言」という話にまで発展。私は「自由に生きよ」だと答えた。その時「親に発した失言」の話も。私は「生まれて2回、失言をしたようだ」と答えた。「ようだ」というのは、記憶に全くないからである。
仕事があり、産休もなかった時代、私は母方の祖母に育てられた。典型的な「ばあちゃん子」。母は「タケシ君、君は小さい頃、おばあちゃんを私の前でお母さんと呼んだ」と笑いながら言った記憶がある。当然、私には覚えがない。もう1つは、昔「おばあちゃんがボケてきた時に、電話で相談したら何と言ったか覚えてる?」と聞かれた。祖母は80を過ぎて認知症に。母は12年間、最後まで面倒を見た(92歳で老衰にて他界)。当時は認知症そのものが、今ほどは知られていなく、家から飛び出したり、理解できないことを口走ったりで、病気を認識するまでかなりの時間がかかった。その時、私は電話で開口一番「おばあちゃんに手をあげてはダメだよと言った」。手をあげるとは、体罰を加えること。母がそのようなことをするはずはなく、そのような発言をしたことは全く記憶にない。その話をしたら、友人が「三宅なら言いそうだよ。きっと言っている」と笑って保証した。そして、「僕は2つではすまないよ。100はあるね、きっと」とフォローしてくれた。
久しぶりに、人生論(?)を語り合って、友人が駅まで送ってくれた。私「心に残る通夜だった。楽しく仕事をして借金なく旅立ったと聞いて、心の整理がついた」。友人「これからは彼の分も生きていこう」。彼の言葉を背に、私は神保町駅の改札を通った。

梅が島

雨の影響もあって、待ち時間も少なく、静かな時間が流れています。今日は仕事が終った後に、時間的に余裕がなさそうなので、早朝にこのブログを書いています。
静岡市の市内から1時間半、南アルプスの麓近くに「梅が島温泉」がある。安倍川の源流近くの小さな温泉で、川沿いに民宿や旅館が点在している小さな集落である。その頃、同僚数人と土曜の仕事が終ってから、梅が島にソフトテニス(軟式)を楽しむために、年に数回でかけていた。小さな民宿に泊り込みで、囲炉裏端で食事をして、酒を飲んで市営のコートでソフトテニスというイベント。みんな大変仲がよく、本当に楽しい思い出である。その後、転勤もあって、みんな違った道を歩むことになり、会うこともほとんどなくなっていた。
5月半ば、夜遅くに当時の仲間の1人から電話があった。そして、自分の病状と経過を説明してくれた。突然のことで、かける言葉を失った。気持ちを落ち着けて「一度、集まって食事でも」とさそったが、病状を考えると食事というわけにはいかない。私は「お別れの電話」だと判断。もう会えないと覚悟を決めた。そこで、少し昔の話に。「あの頃は本当に楽しかったね」という思いは同じ。「みんなに宜しく伝えてほしい」という依頼に、「了解」と返事をして会話は終った。
当時の仲間には連絡をとった。今日の夕方、当時の仲間1人と待ち合わせて通夜に参列する予定である。参列できない友人たちの思いもいっしょに。この3週間、心に重くのしかかっていたのは、彼との会話である。前にも書いたが「人生で最も予期せぬ出来事は老い」であり、100%避けて通れないのが「死」である。それはよく理解しているし、納得もしている。しかし、時に「死」は残酷であり、周囲の人々に大きな悲しみを与える。今日は一緒に参列する友人と、ノンアルコールビールを飲みながら、昔を懐かしむことになるのだろうか。

新しい日本脳炎ワクチンの接種始まる

以前にも説明しましたが、新しい日本脳炎ワクチン(乾燥細胞培養日本脳炎ワクチン;商品名ジェービックV)が、当初の予定からするとかなり遅れて、今日(6月2日)にやっと発売されることになりました(今日の午前中に20本入荷したので、接種可能に)。予防接種実施規則一部改正が6月2日になり、5月下旬には出荷できる予定でしたが、混乱を避け(改正前だと任意接種になってしまう。6月2日以降だと定期接種)この日に合わせての発売延期になったというのが実情です。
接種を希望される方は、問診票を取り寄せて下さい。また、手元にある方は、7歳半までは有効ですので、その問診票を持っきていただければ接種できます。問題は発売当初は品薄であることです。十分には手にはいらないと思いますので、「明日、日本脳炎ワクチンを希望します」という電話を入れて、予約を取っていただいた方が良いかと思っています。