ハナミズキ

今日は早朝から仕事に入った。8時過ぎまでは快調に進んだのだが、そこからは少しバタバタしてしまった。受付終了が9時。仕事が終ったのが10時半になった。
連休のテーマはアデノウイルス感染と、ロタウイルス感染になるだろう。アデノウイルス感染はプール熱、咽頭結膜熱とも呼ばれる。突然の高熱から始まり、2日ぐらいで鼻がつまる。最初は高熱であり、4日ぐらい続く、要注意の病気である。ロタは突然の嘔吐、39度近い高熱、下痢の順で症状がでる。
今日の夕方は次女と神田川を散歩。夕暮れの神田川沿いには、白やピンクのハナミズキが咲いていた。夜空には満月。湿度も低く、久しぶりに快適な散歩となった。
ハナミズキ

ゴールデンウィーク始まる

明日、朝早くて申し訳ないのですが、7時半から9時までの診療になります。去年は夕方診療したのですが、夜の8時頃までかかったように記憶しています。今回は静かに終わることを祈りつつ。
今年は本当に寒い。雨も多く、気分が重い感じ。遠出をされる方も多いかと思いますが、事故等にはくれぐれも気をつけて下さい。明日は暖かくなったら、神田川を散歩したいと思っています。大好きなアメリカハナミズキが咲いているはず。ゴールデンウィークの花は、やはり白いハナミズキですね。

回転寿司

流石に、昨日(月曜日)は忙しかったですね。ゴールデンウィークモードになってきました。29日(木曜、祝日)は変則的ですが、7時半から9時まで診療します。お困りの方はどうぞ。以下に再度、ゴールデンウィークの予定を。一番忙しいのは2日の夕方、次いで29日と予想しているのですが。5月12日、13日は臨時休診になりますので、ご了承下さい。
(ゴールデンウィークのお知らせ)
・4月29日(木・祝)・・・ AM7:30?9:00の間診療
  ・5月 1日(土)  ・・・ 午前中のみ診察
  ・5月 2日(日)  ・・・ PM3:00?6:00の間診察
  ・5月 3日(月・祝)・・・ 休診
  ・5月 4日(火・祝)・・・ 午前中のみ診察
  ・5月 5日(水・祝)・・・ pm3:30?4:30の間診察

  ・5月12日(水)・13日(木)は、臨時休診させていただきます。
(以下、雑談です)
私と家内は寿司屋には行かない。二人で行ったこともない。魚は大好きなのだが、野菜も好きなので、野菜の少ない食事は敬遠したくなる。最近ブームの回転寿司も、家内は行ったことはない。私も行ったことはないと思っていたのだが、先日東北新幹線に乗って、上野駅を通過した時に、回転寿司を思い出した。
22年ほど前、東北上越新幹線は上野が始発であった。新潟に講演に行く途中、上野で15分ぐらい待ち時間があった。この時間を利用して夕食をを思ったのだが、時間が短い。そこで見つけたのが、新幹線入口の横にあった回転寿司。店に飛び込んで、10分で食事を終えた。おいしいとは、とても思えなかった。
この時に、初めて回転寿司を知ったのだが、当時は「早く食べる利便性」を目的として利用されていたように思う。その後、安くて高級な外食として、今の隆盛を見る。食文化の変化には驚かされる。日本の伝統的食文化である寿司が、皿の乗って回転するのだから。
「最近は野菜もあるよ」と娘に言われ、心が動くのだが、家内は全く興味を示していない。回転寿司、ゴールデンウィークはきっと混むのだろう。

石割桜

土曜日はご配慮いただき、有難うございました。1時過ぎに診療を終え、3時前の「はやて」で5時半に盛岡に到着できました。明日は忙しいでしょうね。ゴールデンウィークも間近になりました。29日(木曜日、昭和の日)は午前7時半から9時の診療になります。
(以下、雑談です)
学会場もホテル(ビジネスホテル)も駅前。北上川を散策して、岩手県庁前にある石割桜に向かった。今年は気温が低く、盛岡の桜は蕾のまま。今日は4時に起きて、家内と3時間ほど散策してから、学会へ。なんと北上川の土手にはツクシが。
25年以上前に、日本感染症学会総会で盛岡に来たことがある。タクシーで会場に行く途中で、「ここが有名な石割桜です」という説明を受けたことと、北上川の支流の中津川の河原を歩いた記憶が残っている。当時の感染症学会は、参加者のほとんどが年配の方で、30歳前後の私は、とても違和感を覚えた。「この学会は、もう終わった学会なのか」と生意気な思いがよぎった。それから、エイズ、サーズ、新型インフルといろいろなテーマがでてくるのだが。
この時、学会でお会いしたのが、4代前の京大小児科教授のO先生であった。私が卒業した年に退官されたので、40年ほど先輩になる。存命ならば95歳ぐらい?「三宅君、今晩食事に行こう。ホテルに迎えにきてくれ」と突然言われた。二人で炉辺焼きに行き、酒を飲んだ。海のパイナップルと言われるホヤを初めて食べたのも、この時。
その時の話の内容は、よく覚えている。O先生は戦後(昭和20年代)に盛岡赤十字病院の小児科部長をされていた。10年近く、1人部長であった。当時は食料もなく、栄養状態の悪い時代。そこに戦後のベビーブーム。医薬品も少なく、子供の死亡率は極めて高い時期であった。先生は親の啓蒙活動に奔走し、夜昼なく働いたと、昔を懐かしむように話してくれた。その後、助教授として大学に戻り、教授に昇進するのだが、そこで学園紛争が起こった。実験設備は壊され、教授時代はほとんど研究ができず、心残りで残念でならないとも語った。
戦後の大変な時代に、孤軍奮闘した盛岡に帰ってきて、ゆっくり話がしたかったのではないか?その時に偶然、私に会ったのかもしれない。石割桜とO先生の話が、盛岡での最大の思い出であった。家内と夕食を食べながら、当時の話になった。O先生は10年近く前に他界された。石割桜は太く、たくましく、そこに存在していた。
盛岡 024
気温が低く、桜の開花は連休中になるだろう。盛岡で苦しんだのは、スギの花粉症。外を歩き過ぎたかな?学会の内容はパスしますね(早起きし過ぎた影響は大きい?)

小児科学会総会へ

明日、仕事を終えて、2時台の新幹線で盛岡へ向かう予定。仕事を1時までに終えたいと思っています。大変申し訳ありませんが、早くの来院をお願いします。日曜日は遅くの帰京になります。
今、流行している病気はロタなどの嘔吐下痢と、高熱のプール熱(アデノウイルス感染症)です。木曜、金曜と冷たい雨。盛岡も10度以下の予報。冬の装いですね。寒い旅行になりそうです。

緊張感のある4月

4月の初めは、9月の初めに次いで暇な時期である。ここで一休みというところだが、今年は違和感がある。緊張が取れない。理由はいくつかある。
1) 0歳、1歳児の感染症が多い。熱が続いたり、セキやハナが止まらない患者さんが多いということ。
2) 私の専門であるアトピーの患者さんが多い。
3) 日本脳炎ワクチン、サーバリックス、プレベナーなどの予防接種が多い。
この3つが主な理由である。問題は1である。時流を反映して、保育園や託児施設が急増している。0歳や1歳で集団生活を始めた子供達が多い。当然、感染症は増えるし、広がりを見せる。発熱を繰り返すため、仕事にならないお父さんやお母さんも多い。4月に入って、気温は低い。昨日は20度を越えていたが、今日は10度以下。気温の変動は感染症の流行を助長する。そこに、集団生活が拍車をかける。この傾向は、ゴールデンウィークまで続くだろう。
例年通りという読みで、今週の土曜日は午前中の診療を終えて、盛岡の小児科学会総会に出かける予定にしてしまった。申し訳ないのだが、帰りは日曜日の夜遅くになる。土曜日は早めに来院いただけると助かる。今日の盛岡は雪?気の重い学会になりそうだ。
(以下、雑談です)
20日の結婚記念日は午後から雨になった。早く終る?と期待したのだが、5時過ぎて嘔吐下痢のため点滴が二人。この仕事はなかなか予定がたたない。夜遅くなったため、近場に行くことに。甲州街道沿いのガスト(2ヶ月前まではジョナサン)で食事をすることになった。二人でチーズハンバーグ(500円?)をつつきながら、家内はビールで、私はフリーで乾杯。「ハンバーグは久しぶり」と言うと、「子供たちの弁当を作らなくなったからね」とのこと。「買い物は夜遅くになるので、ミンチは売り切れているし」という言葉には、笑ってしまった。
結婚して30年の3大事件は、東京での開業、3姉妹の誕生、娘達が我々と同じ道を歩んでいることで、意見は一致。一番楽しかったことは「子育て」、一番辛かったことも「子育て」で意見が一致。「子育ては地味な作業(行為?)の積み重ねだから」「今の子育ては、昔に比べて大変だと思う」という家内の言葉には説得力があった。
ガストに行った理由はもう1つある。高校生の患者さんが、遠くにあるジョナサンでバイトをしている。来院するたびに、「先生、これ使って下さい」と割引券を2枚置いていってくれる。学校も勉強になるのだが、バイトも社会勉強になる。この患者さんも先輩とお客さんにもまれて、随分成長した。この2枚の券が嬉しくて、ガストに出かける。期限は4月いっぱいだった。価格の低いものを食べて、1時間半も居座り、しかも割引。「あなたらしいわね」という家内の言葉は、素直に受け取ることにしよう。

結婚記念日雑感?(琵琶湖)

今日でちょうど結婚30周年となります。トラックを30周、走りきったというところでしょうか。
私達は結婚式を挙げていません。当時、家内は彦根市立病院の小児科に勤務。医長さんと二人だけの小児科。医長さんが大津に住んでいたこともあって、24時間のオンコール。入院患者さん全員の主治医に、外来診療と当直もあり。新婚旅行という発想は、とても浮かびませんでした。私も5名の研修医で当直していましたので、月に6回ぐらい。休むわけにはいきません。
大学の上司からは「結婚式はいつ?」という催促を何度も受けましたが、「そのうち、やりますから」と言いながらうやむやに。当時は結婚式の仲人は教授というのが相場。義理ができるのは、性格的に受け付けません。でも、結婚のお知らせぐらいはと、写真入りの絵葉書を送りました。残念ながら、そのハガキは残っていません。散歩コースは彦根市を流れる芹川沿いでした。芹川が琵琶湖に流れ込む河口をバックに撮った1枚をハガキに。それが、この写真です。
ヒコニャンで有名になった彦根。30年前の爽やかな琵琶湖の風景が蘇ってきます。30年前の今日(4月20日)は日曜日。彦根市役所に結婚届を提出。末娘も来年は大学を卒業し、社会人になる予定で、子育ては終了。さすがに、30年前には予想もしなかった人生を、二人で歩むことになりました。東京で開業など、全くの想定外の出来事。
人生は「本のページをめくるが如く」時は過ぎて行きます。皆さんもいずれ同じ立場になるはず。30ページの内容を検証しながら、今日の夕方は、二人でゆっくり食事ですね。私も家内も外食は好みではないのですが、今日は特別。散歩がてら、夕食を楽しみたいと思っています。
琵琶湖
アルバムからの写真を、デジタルカメラで写したもの。写真が古くて、大き過ぎですね。

結婚記念日雑感?(妻の口癖)

今朝起きて外を見ると、何と季節はずれの雪景色。今は冷たい雨が降っています。外気温は1度。これでは、予防接種どころではない?
結婚してから30年、事ある毎に家内が言うフレーズがある。「私を見取ってね。これだけ苦労をかけたのだから、私より1日でも長く生きること。その後は再婚してもいいからね」私「「冗談じゃないよ。そんなに長く生きるつもりはない」この会話、何度となく繰り返されてきた。残念なことに(?)、家内は長寿の家系。家内の両親も健在である。家内自身も至って頑丈で、本人も「健康だけが取り柄」と自負している。私は「とても付き合ってられない」というのが本心。
先日もこの会話になった。隣で聞いていた娘達が、すぐに反応した。「再婚?3人でいびるからね。無理だと思うなぁ」とニヤリと笑った。とても冗談とは思えない。私は「このうるさい娘3人のいるところに、嫁に来る物好きはいないよ」という言葉を飲み込んだ。「父と母の面倒はみるからね」という言葉は有難いのだが、「いらないお世話。それより迷惑をかけるな」と言いたくなる。家内の老後については、全く心配していない。「後は、4人(娘3人+家内)で仲良くやってくれ」というのが、私の気持ち。死ぬ時は「早い者勝ち」だろう。

慈恵第?病院

来週の土曜日(4月24日)は、診療が終わってから、盛岡の小児科学会総会に出かけます。24日は早めに来院してただけると助かります。25日(日曜日)は診療できません。ご了承下さい。
ゴールデンウィークのお知らせです。
・4月29日(木・祝)・・・ AM7:30?9:00の間診療
  ・5月 1日(土)  ・・・ 午前中のみ診察
  ・5月 2日(日)  ・・・ PM3:00?6:00の間診察
  ・5月 3日(月・祝)・・・ 休診
  ・5月 4日(火・祝)・・・ 午前中のみ診察
  ・5月 5日(水・祝)・・・ pm3:30?4:30の間診察

  ・5月12日(水)・13日(木)は、臨時休診させていただきます。
連休明けは静かになります。困っている時に働き、静かな時に休むのが原則ですので。
今日は夕方から、国領にある慈恵第?病院での勉強会がありました。いつもは駅から1キロの散歩を楽しむのですが、今日は時間がなく、初めて車で出かけました。8年ぶりに東京に戻ってきた次女とドライブ。ゆっくり話しをすることができました。今回の勉強会のテーマは「低身長」。私の最も苦手な分野。
帰りにマルエツに立ち寄って、待合室の本を購入。この半年、忙しくて本を買う時間もなかったので、少し仕入れる(?)ことができました。本にはシールカバーをつけますので、数日中には待合室にデビューできるはず。
今回の勉強会は私も次女も寝ませんでした。これは快挙かも?

結婚記念日雑感?(プロポーズ)

4月20日は30回目の結婚記念日。真珠婚と呼ぶらしい。でも、あまり実感が沸きませんね。二人とも18歳で親元を離れているので、お互いの人生の中で最も長く暮らしている人に。開業して20年経ちますが、仕事場が同じなので、一緒にいる時間は本当に長い!普通の夫婦ならば、50年以上に相当するかもしれません。
先日、娘達から突然、「ところでプロポーズの言葉は?」という質問が。私は「―――?」。すると、家内は笑いながら「プロポーズの言葉はなかったわ。だから、記憶にあるはずはないのよ」とのコメント。考えたこともない質問にビックリ。そういえば、プロポーズはしていないかも?家内「あなたのことを、私の母に話していいの?」私「いいよ」というのが、プロポーズの代わりであったらしい。当時、私は結婚すると、勝手に決めていましたから。
私が「結婚とは何ぞや?」と尋ねると、家内は「結婚とは忍耐と楽しさの連続」私「この30年の感想は?」家内「あなたに有難う」とのこと。逆に聞かれたら、私は「結婚とは楽しいパートナーシップ(協力関係)」「感謝!」と答えますね。家内とは同じ場で学び、同じ戦場で戦ってきたパートナーですから。
前から書いていますが、私が自分で考えて判断した3枚のカードは、1つが高校3年生の終わりに医学部志望に変えたこと、家内と結婚したこと、東京での開業を決めたことの3つ。結婚が最大のポイントと思っています。暗い道でぶつかったのが縁での結婚(2008年の4月のブログ参照)、人生とは実力ではなく、99%は偶然の積み重ねかもしれません。ユダヤに「最も幸せな男とは、良き妻を娶った男」という格言があったはず。この格言を信じるならば、私は幸せ者?この30年、私も家内に「ありがとう」ですね。

院長の暴言(専門医Part?)

先週は「三宅小児科の予防接種週間」であった。高校3年生の子供たちが、MRワクチンのために久しぶりに顔を見せてくれた。身体が大きくなっていることにビックリ。病気をしない年齢なので、数年ぶりの方も。母子手帳を見ると、予防接種の欄には、全て「三宅」の印が。本当に嬉しいですね。日本脳炎ワクチンも順調に進んでいます。
大きな病気の流行はありません。4月と9月の初旬は、静かですね。今週の待ち時間も0から15分を予想しています。予防接種と健診は、診療時間内はいつでもOK。今回の「たかやま小児科のブログ」の後発医薬品の話は心を打ちますね。私も同感です。
(以下、長すぎる暴論である)
20年以上も前に、専門医制度(当時は認定医制度であった)ができた時に、私は医療崩壊を予測した。当時は医学博士という、いわば「足かせ」があった。出世するには、臨床を離れて研究をして論文を書く。そのお礼奉公として、僻地に赴任する制度である。専門医制度はいわば医学博士に代わる制度であると、私は判断していた。ということは、大学の足かせがなくなる→若い医師は言うことを聞かない→田舎(僻地)には赴任しない→都市部に医師が集まる→地方は医師不足で医療崩壊→都市部は質の悪い医師で医療崩壊。そこに、卒業2年間の初期研修の義務化。医療崩壊は当然のことである。
20年前に「10年後は開業医の時代が来る」と公言して、東京に出て開業した。予想は的中し、2000年が開業ラッシュのピークとなった。私はその後の10年を「医療崩壊の10年が来る」と予想していた。開業ラッシュの後は、都市部の過当競争であり、地方では医師不足となる。過当競争となれば、なりふりかまわず、何でもやる。昨日まで外科をやっていて、今日から小児科で開業などザラである。整形外科が美容外科をやり、循環器内科が急に小児科に。専門性など無視した医療が行われるようになった。これを「ナンチャッテ開業」という。私は別に非難をしているわけではない。医師免許は「専門」の特定はなく、全ての科の診療は認められているからだ。
10年前から「専門医制度」は意味がなくなっているのである。誰も気づいていないと思うが、これが現状である。私は頭の構造が、かなり変わっているので、いろいろな発想が浮かぶ。私の読みは間違ってはいないはず。患者さんは、その点を考慮してかかりつけの医師を選択すべきである。専門医の資格を持っている所にかかるようにと、主張しているわけではない。自分の病気について、経験のある医師にかかるべきなのだ。
臨床に携わる医師から見ると、「患者さんに信頼されてこその臨床」だと思う。では、どこにポイントがあるのか?それは単純である。「患者さんの困っていることを、何が何でも解決したい」と思う気持ちの強さである。私も家内もその気持ちと、キャリア(何人の患者さんを、責任を持って診てきたか)をとても重要視してきた。「解熱剤だけ。明日熱があったら、近くの医院へ」では、医療にはならないのだ。ついでに、今からの10年間を予想しておこう。「医療の再生」である。但し、「みんなが平等に医療を受けることができる時代」ではなくなるはずだ。

明細書の発行

当院では4月1日から、窓口負担のある方には、診療明細書を発行しています。我々診療所では、7月から明細書の発行が義務づけられていますが、発行体制が整ったこともあって、今月から発行しています。明細書について感想や意見のある方は、遠慮なく申し出て下さい。また、実物を見て、不要と判断された方は、その旨を窓口で口頭で伝えて下さい。
この明細書の問題点は、「悪性腫瘍物質治療管理料」などの際どい文字が記載されることです。明細書を貰って初めて、自分の病名を知ることに。実際にこの問題は現実化しつつあります。もしも、自分の病名を知って極端な行動をとった場合には、責任はすべて(法律で定めた)国の責任になります。この明細書の発行、問題が大きくなって、廃止になる可能性もわずかではありますが、残っていると思っています。

院長の暴言(専門医Part?)

4月1日に厚労省から「日本脳炎の定期の予防接種について」というタイトルで、都道府県知事宛に文書が送られた。日本脳炎ワクチンについて、「積極的な勧奨を行う段階に至った」という内容である。実に分かりにくいのだが、私なりに解釈してみた。
1)4年前に実質上中止となった日本脳炎ワクチンは、元に戻す。つまり、積極的に接種すること。
2)使用するワクチンは新ワクチンである。
3)ワクチンが不足するかもしれないので、平成22年4月以降に3歳になる児童にのみ、接種票を送付する。
この3点である。ブランクの4年間は接種されていなかったが、その方々は最寄りの保健センターに電話して、自主的に「送付を希望する」しかない。現在3歳から7歳の方は(7歳半までが対象)、ぜひ早く手配をお願いしたい。
(以下、院長の暴言である)
専門医の話の続きである。この専門医資格、今は一応試験がある。私は小児科学会とアレルギー学会の専門医(当時は認定医と呼んでいた)であるが、当時は試験はなく、ポイント制。「論文の自動販売機」と悪口を言われていた私は、問題なくパス。でも、研究するより、患者さんと接している方が楽しい。
私は10年前にもう1つ認定医の資格を持っていた。このK学会も、第一回の認定医もポイント制。ポイントではパスしていたが、認定医になるつもりはなかった。ところが、認定医の条件の1つを見て驚いた。「評議員(つまりお偉いさん)2名の推薦状が必要」という条項があった。クレーマーを自負する私は、すぐに学会本部に電話を入れた。「この条項は何だ。評議員は我々会員が選んでいる。その評議員の推薦状とは本末転倒である。」と抗議した。このような条項は、若い人(私は若くもなく、気にしないのだが)にとっては、精神的に大きな負担となる。電話を切って、30分後に電話がかかってきた。「先生をご存知の評議員の方2名が、推薦状を書くと言っています。すぐに手続きをして下さい」。結局、お金を支払うことになった。時にクレームは、自分の首を絞める。
若い医師からは「無試験はずるい」という声が聞こえてくる。ごもっともだと思う。私が若かったなら、同じことを言っているはず。でもね、立場が変わると意見も変わるのである(何といい加減な!)。だいたい、専門医などどうでもいいではないか。ポイントは「患者さんをどれだけ診たか?」なのである。つまり「どれだけ、患者さんに支持されたか?信頼されたか?」がポイント。いや、医師の評価はそれしかない!と思っている。

進級、おめでとうございます。

4月から新しい環境で出発という方も多いのでは?保育園はすでに始まり、小学校も今日から始まるところが多いようですね。今週は入学式、入園式も多い。入学、進級、就職おめでとうございます。最初は慣れるのに大変ですが、誰もが通過しなくてはならない道。4月を無事に乗り切ってほしいと思っています。
今月からMRワクチンの、新しいシーズンが始まりました。思い立ったが吉日。ぜひ、今週中に接種して下さいね。?期(年長さん)、?期(中学1年生)、?期(高校3年生)は副作用は全くありません。新中学1年生の方は高校3年生になっても、接種するチャンスがあると思ってはいけません。暫定の接種なので、チャンスは1回のみ。忘れずに。
2月25日から始まった肺炎球菌ワクチンのプレベナー、3月末時点で83名に86回接種しました。83名の中で、接種後の情報を61名の方から得ることができました。接種部位が赤く腫れたり、硬くなった方は20名(30%前後)、24時間以内に38度以上の熱が出た方は3名(5%)でした。他のワクチンに比べて、接種した部位が腫れることは多いですね。ただし、2日から4日で消失しています。発熱された3名は、ワクチンの副作用の可能性が高いと判断しています。5%の発熱は、私が予想していたより低い数字ではありますが。

院長の暴言(専門医Part?)

先週の日曜日はfu-mieちゃんのコンサートが四谷天窓であったのだが、仕事に時間がかかって、残念ながら間に合わなかった。昨日は浜離宮朝日ホールで、小林愛実ちゃんのピアノリサイタルがあった。家内と行ったのだが、すばらしい演奏に、まさに「引き込まれる思い」であった。アンコールに3曲弾いた、14歳の彼女のプロ魂に、大きな拍手を贈りたい。
お断りを一つ。4月23日、24日(日曜日)は、盛岡で小児科学会総会がある。学会のために仕事に穴を空けるつもりはないので、23日(土曜日)の午後に、仕事が終ってから出発する予定である。帰るのが24日の夜になるため、日曜診療はできない。また、土曜日は新幹線の都合もあり、早めに来院していただくと嬉しい。金曜日に来院できるならばお願いしたい。最近、訃報が多く、1年に1回の総会には、顔を出す意味がある?
以下、独り言(いや暴言の間違い)である。
2週間ほど前、日本アレルギー学会専門医の認定証が郵送されてきた。5年が有効期限なので4回目の更新になる。認定番号が1007番なので、第一回目の専門医となる。更新するには、学会の出席や論文などで、それぞれ点数があり、5年間の合算で100ポイントが必要になる。実は昨年が更新の年であったが、忙しくて手続きを忘れていた。ポイントは十分にあった。勤務医時代には学会発表や論文書きは日常茶飯事であり、専門医の維持は簡単であった。患者さんを診察するより、学会で物見遊山(暴言だ!)の方が楽に決まっている。
開業すると、土曜日も仕事、学会で休むわけにはいかない。当初「学会出席するため、金曜と土曜は休診」するように薦められた。「学会で勉強していると、患者さんは評価して、喜んでくれる」と。これはタワゴトである。臨床医にとって、診察室から離れることは、戦線離脱を意味する。「学会で休診」など、患者さんが喜ぶはずはない。情報は学会でなくても、得ることができる時代である。私は昔「学会は発表するためにある」と公言して、自分の発表が終わると、すぐに帰宅していた。入院患者さんが気になって、落ち着かないのである。学会ではいろいろな所に行ったが、観光はしていないので、行っていないのと同じかもしれない。
開業しての悩みは、診療が忙しく、学会に行くことができないこと。つまり、専門医を維持することが困難なのである。友人の多くは開業して数年で、資格を失っている。それでいいのではないのか?専門医など「茶道の免状」と同じ。患者さんにとっても、全く意味のないものではないか。私の認定書は入り口にかけてあったが、8年ぐらい前に、地震の時に落下。患者さんに怪我はなかったのだが、頭にきてはずしてしまった。紛失していたこともあって、更新を忘れていたのだ。
今回の更新は、家内に説得されたからであった。「更新に3万。冗談じゃない。タンスに入れておくだけなのに」と言ったら、「ないよりはマシでしょう」と、勝手に3万を振り込んでしまった。茶道の免状に、お金を積むような気分。この免状、いや認定書は人目につくことはないだろう。やはり、3万は高い!「三宅小児科」と標榜しての開業。「三宅小児科」って何科?と問う患者さんはいない。本来、専門医の免状は要らないのだ。(以下続く)

ゴールデンウィークの予定

新年度のMRワクチンの接種が始まりました。
お早めに、忘れずに接種してください。

今週は「三宅小児科の予防接種週間」です。
診察時間内はいつでも受付致します。


・ゴールデンウィーク中の診療日及び休診日について

  ・4月29日(木・祝)・・・ AM7:30?9:00の間診療
  ・5月 1日(土)  ・・・ 午前中のみ診察
  ・5月 2日(日)  ・・・ PM3:00?6:00の間診察
  ・5月 3日(月・祝)・・・ 休診
  ・5月 4日(火・祝)・・・ 午前中のみ診察
  ・5月 5日(水・祝)・・・ pm3:30?4:30の間診察

  ・5月12日(水)・13日(木)は、臨時休診させていただきます。

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御柱(おんばしら)祭り

明日から日本三大奇祭の1つである御柱祭りが、諏訪で開催される。この祭りは7年に1度のお祭りで、公式ホームページには「信州・諏訪大社では七年に一度の寅と申の年に宝殿を新築し、社殿の四隅にあるモミの大木を建て替える祭りを行います。 この祭りを「式年造営御柱大祭」、通称「御柱祭」と呼び、諏訪地方の6市町村21万人の氏子がこぞって参加する天下の大祭です」と記載されている。モミの大木を大勢で引き回すお祭りで、かなり危険なお祭り。死者がでることもある。
35年前の4月の初め、私は諏訪湖にいた。春休みに小学校時代からの友人を東京に尋ね、諏訪湖が見たくなって、新宿から中央線に乗った。諏訪で降りて、諏訪湖の周りを散策。水は予想に反して、黒くにごっていた。泊まったのは諏訪ユースホステルであった。私は中学生時代からユースの会員であり、旅行の時には使っていた。当時は食事はセルフサービス、宿泊客は食堂に集まって、いろいろな話をする決まり。シメは「今日の日はさようなら」を歌うことであった。3番は「信じあう喜びを、大切にしよう。今日の日はさようなら、また会う日まで」であった(森山良子が歌ってヒット)。
その時、ユースの責任者(確かペアレントと呼んでいたかも?)が、「御柱祭りの川越えがあるから、ぜひに」と言った。翌日、わけも分からず川へ。多くの人がまたがった大木が、川の土手から落ちていく様子を眺めていた。御柱祭りが、「日本三大奇祭」と呼ばれる、有名な祭りであることを知ったのは、数年後のことであった。
3年前の3月、久しぶりに諏訪湖を見たいと思い、家内とでかけた。当時、娘の勤務先が、諏訪湖のほとりの諏訪赤十字病院であった。諏訪湖を半周歩いたが、諏訪ユースホステルは存在していなかった。「御柱祭り」のニュースを見ると、のどかな諏訪湖の風景が蘇る。あれから35年、時の経つのは早いものだ。

御柱 003
諏訪大社の下社秋宮に立つ御柱。御柱の前に立つのは、ヤンキースの帽子をかぶった私。当時、肋骨を3本ほど骨折しており、運転は家内まかせ。
御柱 002
早朝、ホテルの窓から諏訪湖を眺めていた。遠くの道路を変な生き物が散歩していた。ヒツジではないか?帰りの車で、諏訪湖の交差点を曲がろうとした時に、道路の真ん中を、例のヒツジが散歩。思わずシャッターを切った。どの車も徐行。信じられない光景であった。