21周目の走行

今日の診療は静かに終わった。開業してちょうど20年を、無事に走り終えたことになる。記憶にないだけかもしれないが、仕事上では大きな問題はなかったと思っている。開院時に赤ちゃんだった患者さんは、当然のことながら成人した。多くの人生を見て、多くのことを学び、多くの喜びを感じることができた。この20年間支えていただいた皆さんに、感謝の意を伝えたい。
臨床は各論であり、1人1人の人生も病気も、そして家族背景も異なる。診療は「金太郎飴」的なものではなく、いつ何が起こるかわからない。そこに危険と楽しみがある。「先入観を持たずに観察し、思考は柔軟に、気持ちはブレないこと」が大切だ。
明日から、21周目が始まる。これからの10年間も、決して平坦ではないだろう。医療はサービス業であり、社会のニーズに合わない医療は、患者さんに認められるはずはない。医療の評価は患者さんが行うことだ。私も家内もスタッフも、「患者さんに支持されての医療」であることを再認識して、21周目の第一歩を踏み出す。21周目の走行、皆さんの助けを借りながら、しなやかに(いや、転ばずに?)走りたいと思う。

今週の待ち時間

雨が多く、蒸し暑い日が続いています。待ち時間は0分から10分ぐらいでしょうか?この時期は健診と予防接種がお薦めです。診療時間内はいつでもOK。Hibワクチンも9月からは、自由に接種できる予定。
新型インフルエンザワクチンの税金の無駄が853億円との報道。使用期限切れのワクチンの破棄を考えると、おそらく1000億以上の税金の無駄使いとなるだろう。実際に輸入されたワクチンは使われなかったし、国産も大量に余った。予想された範囲ではあるが、環境破壊と税金の無駄使いだけが残ったことは何とも割り切れない。

合意

今回は姉とゆっくり話をすることができた。以前に、母と祖母のどちらがかわいがっていたか?という話題になったことがある。全く意見は逆であった。私は「僕はおばあちゃん子で、母は姉をかわいがってたはず」という。姉は「母はタケシをかわいがっていた」。不思議なことだが、きっと私の意見が正しいではないか?
信じられないかもしれないが、私は母と二人で、10分以上話した経験は1度しかない。ちょうど10年前のこと。宮崎で高山家と合流した時に、母に声をかけたら、珍しくホテルに来てくれた。早朝、二人で海まで散歩に出た。「二人で話をするのは、初めてではないか?」という会話があった。1時間の散歩の間、話は全く噛み合わず。私は例の如く、花や虫に気を取られ、ほとんど話を聞いていなかった。でも、ポイントは理解したつもりだ。
大正生まれの母にとって、長男である私は、自分よりランクが上、娘は下と分類したのだろう。「子育ての方針は?」と、宮崎で聞いた。「命令はしない。否定はしないこと」と答えた。「勉強しなさい」とか「???してはいけない」という言葉は、一度も聞いたことがない。私は「もともと言うことは聞かないので、言わないだけ」と解釈していたのだが、母は私のランクが上なので、「命令も、否定もしない」と決めていたようだ。おもしろい発想だが、そのように解釈すると、全てのつじつまが合う。
学校などのいろいろなクレームは一切無視し、私には何も言わなかった。参観日に来たことは一度もなく、進路指導にも応じなかった。高校3年時に強制的に呼び出しを受け、「親や先生の言うことを聞く子供に育てた覚えはない。本人の自由に」とだけ言って、そのまま席を立ったそうだ(担任から聞いた)。母にとって、私は実に厄介な長男だったのではないか?
今後のことについて、姉と話をして合意点を確認した。今後のことを、100%予想することは不可能だ。しかし、事情の変化に応じて、その対応策を検討し、誤解のないように合意点を確認する。これは大切なことだ。姉と私では、母に対する気持ちには、差があって当然だ。私は3人の娘がいる。母が家内に言った「男の子はいらないよ」は、本心からの言葉だったのだろう。
(注)
ここでいうランクは、社会的地位ではなく、長男には従い、娘はかわいい子分みたいなものと思っていたという意味。

10年前

今日から東京を離れる。明日は帰宅時間が不定のため、大変申し訳ないのだが診療はできない。この一週間は、待ち時間が少なく、本当に静かであった。当分は、この静かな状態が続くと予想している。
あと数日で20年目を終える。10年を終えた6月30日は土曜日。仕事を終えてすぐに、講演のために広島に向かった。講演を終えて懇親会があり、懇親会の途中で、慌てて9時半の新幹線に飛び乗った。福山で降りて、府中市の家内の実家に到着したのは、11時近くであった。風呂に入り、食卓を見た。テーブル1杯のご馳走が並んでいた。義父母が10周年を祝ってくれたのだ。普通は8時には就寝のところを、1時ごろまで付き合ってくれた。
11年目の初日(2000年の7月1日)は、家内の実家で迎えた。本当に心のこもった歓待を受け、良い思い出となった。私は時間が取れず、以後家内の実家には行っていない。大分に帰ったのも、2年前の1度だけ(先日の帰省は除いて)。不義理を重ねてきた。その間は有難いことに、娘達が代役を果たしてくれた。
この1年間、家内も広島には帰省していない。義父母の年齢を考えると、1日でも帰ってほしいと思っている。7月の海の日の連休には、家内はぜひ広島に。私は東京に残って、診療する予定。私は8月に夏休みを利用して、移動したいと思っている。
(追伸)
前回のブログ「お暇」に、多くのコメントを頂き、私も家内も、当人(皆さんの気持ちを伝えました)も感謝しております。有難うございました。

お暇

今月の6月30日で、開業して20年目を終える。トッラクで言うなら、ちょうど20周を走りきったことになる。7月1日からは21週目に突入。6月30日でスタッフの1人が退職する。この20年間、朝の7時から午前中の仕事を担当してもらった。開業初日の1990年の7月2日(1日は日曜日であった)から、20年間の勤務となる。
信じられないかもしれないが、20年前はバブルの最終章で、スタッフを集めることは至難の業であった。全く知り合いもいない。その時、義兄が動いてくれた。義兄の親戚の知り合いということで、二人の既婚の方が面接に来た。働いた経験はなかったが、非常勤という条件で採用が決まった。1人はちょうど10年で、NPOの立ち上げのため退職。昨年の19周年の会合で「先生、来年の3月でお暇を」という申し出があった。「6月末まで。20周をいっしょに完走しよう」と説得して今月に至った。
今年のゴールデンウィークも出勤してくれた。「患者さんが多い時が、楽しくて楽しくて」との言葉に励まされた。私と家内にとっては、患者さんの少ない時も、ごったがえして大変な時も、台風の日も雪の日も、苦楽を供にしてきた戦友であり、大変残念な思いがある。今回は笑顔で送り出そう。20年間、大変な早朝を守ってくれて有難う!

今週の待ち時間

病気の流行は、ほとんど終息しました。待ち時間は0分から15分ぐらい。健診と予防接種が多いですね。ヒブを予約されている方はお忘れなく。また、12月末から接種が始まったサーバリックス(子宮頸がんワクチン)の3回目(初回から6ヶ月後)の時期になりました。こちらもお忘れなく。日本脳炎ワクチンの接種も、本格化してきました。予防接種と健診に最適な、静かな日々が続きそうです。
なお、27日(日曜日)は不在となります。ご了承下さい。

4枚目のカード

このブログを書き始めた1つのきっかけは、人生における4枚目をカードを切る準備であった。私は遊ぶ事以外は真剣になれず、いわゆる「流れに身を任せ」の人生を送ってきた。人生はそれでいいと思っている。以前にも書いたが、真剣に考えて「切るカードはおそらく5枚」と、小学校の頃から信じていた。カードを切る時は、珍しく真剣になる。考え抜くことが、何よりも優先だ。
1枚目は高校3年の秋に、進路を医学部に変更したこと。2枚目は家内との結婚であった。3枚目は東京での開業。この3枚のカードは、私が考えて(自己責任で)決定した。余談になるが、家内との結婚以外は、母はおそらく大反対であったと思っている。しかし、言葉には出さなかった。
3年前から4枚目のカードを切る準備に入った。4枚目のカードとは、仕事を止める(縮小する)ことであった。俗に言う「店じまい」である。今まで、いろいろ説明してきたが、私が「店じまい」という社会情勢では、まだないと判断してて現在に至る。なぜ、4枚目のカードを切る準備を始めようと思ったか、説明する時が来たようだ。
私の頭は人間を含めて、生き物については、異常な記憶力を持つ。この能力は社会生活ではほとんど役には立たないのだが、医師としては助かることもある。母は大分師範(大分大学)を昭和16年に卒業して、昭和50年まで働いた。55歳の時に、定年を待たずして退職した。理由は祖母の介護であった。母は祖母の認知症のわずかな兆候を見逃さなかった。当時、大学生であった私は「なぜ辞めるのか?」と聞いたが、「潮時かな」と笑っていた。
34年間働いて、おそらく34年間の年金生活を送ってきた。母は「若い人たちが働いて、出してくれる年金」と言って、徹底して質素な生活を送っていた。母が退職したのは55歳であり、私はその年齢を既に超えている。父方の祖父母は、父の妹の子供たちを育て、母方の祖母が私と姉の面倒を見た。当時は保育園もなく、出産前日まで働いたらしい。自分の仕事を助けてくれた祖母に報いたかったのではないか?と推測している。
人生の中で仕事に集中できる期間は、本当に短い。特に女性はそうだ。保育園に子供を預けて働き始めたお母さんたちは、保育園からの呼び出しで「ほとんど仕事にならない」と、実感しているのではないか?家内も子育ての時期は、常勤では勤まらなかった。だから、若いお母さんの力になればと思い、東京で開業した。私と家内が朝早くから診察している理由は、ここにある。私の母にとって、親の手助けもなく、仕事と子育てをした家内の評価は高い。母は当然のことながら、息子の自慢はしない。たまに褒められても「タケシはお嫁さんがいいからね」が口癖であったらしい。
話が脱線したが、全力で働くことができる時間が短い理由は、子育てと介護にあることを、私は母から学習してきた。そして、私は母がリタイアした年齢を越えた。家内も80歳を過ぎた父母が、遠い広島に住んでいる。今回、私に姉がいなかったら、仕事にならなかったはずだ。大分で孤軍奮闘している姉には、本当に感謝している。
私が4枚目のカードを切る準備に入った理由は、分かっていただけたと思う。母はいつも「帰ってくる必要はない。忙しくて、責任のある仕事だから」と気遣いを見せた。今回は4枚目のカードを切らずに、乗り切る工夫をしなくてはならない。今は背負っているものが大き過ぎる。
娘たちには「仕事に全力を傾けられる時間は短い。その時間は貴重で、有難いと思わなくてはならない」と話している。娘達は「私達が一人前になるまで頑張って」と応援してくれる。有難いのだが、いつになることやら?ちなみに、5枚目のカードは、「死に方の決定」である。今回の母の状況を見て、5枚目のカードを切る難しさを実感した。これは難問である。
長々と、また雑談を書いてしまった。今、私が仕事ができていることに感謝。今まで1人で頑張ってくれた母にも感謝。「君が仕事ができたのは、千代美さんのおかげだからね」と言った、母の最後の言葉には深い意味があるのだろう。

日曜診療について

明日(6月20日、日曜日)の午後3時30分から4時30分の1時間診療します。お困りの方はどうぞ。梅雨らしい天気が続きそうです。今日も明日も雨の予報。静かな日曜日になるのでは?母の容態は安定はしていないものの、危険区域は脱した模様。近居は安心できますが、遠居はもどかしい。今日は長女の誕生日。夜中に車で帰ってきました。次女も三女も合流しました。家族全員で食事ができることは、嬉しいことです。
来週の日曜日は、姉に会いたいと思っていますので、診療はできないかもしれません。追ってお知らせします。仕事は静かになりました。予防接種と健診は、診療時間内はいつでもOK。前回のブログでも書きましたが、ヒブの待ち時間が10月には解消されます。おかげでストレスと手間が1つなくなります。この一週間は本当に長く感じました。多くの励ましと力を頂き、感謝しています。

ヒブ(Hib)ワクチンについて

ヒブワクチンの増産に伴って、現在までに予約済みの方については、10月までに接種できる予定です。
これから接種を希望される方は、10月以降に予約なしでも接種できるはず。
長い間、大変ご迷惑をおかけしまたが、これで希望する時に、自由に接種できる体制となります。

1)現在予約されている方は、7月26日から9月25日の間に、接種することができます。ワクチンが入荷した時に、当院から電話連絡していましたが、申し訳ないのですが、都合の良い日に、接種に来て下さい。但し、前日に電話していただき「明日、ヒブを希望します」と伝えていただけると助かります。
2)ヒブは年齢によって、接種回数が違います。予約されている方でも、9月26日以降も接種は可能です。また、キャンセルは自由ですので。ご一報いただけると助かります。
3)予約されていない方でも、9月26日以降は、自由に接種できる体制になります。
4)DPT、ヒブ、プレベナー、MRワクチン、水痘ワクチン、オタフクカゼワクチンは、希望されるなら、どの組み合わせでも同時接種します。

・Aコース(生後2ヶ月?6ヶ月):4?8週の間隔で3回接種。およそ1年後に追加1回。
・Bコース(生後7ヶ月?1歳未満):4?8週の間隔で2回接種。およそ1年後に追加1回。
・Cコース(1歳から5歳未満):接種は1回のみ

色紙

今日、2回目のブログを書く。ここからは、少しずつ思い出を書いていきたい。
帰りの飛行機の中で、家内が「お母さんの家の寝室の壁に貼ってあった色紙を見た?」と聞いてきた。私は気づかなかった。「病は気から、老化も気から、明るく笑って、楽しく生きよう」と書いてあったらしい。きっと、何かの本のキャッチコピーだろうと思った。「病は気から」のわけはないし、「老化も気から」もそうだ。「そんなわけはない」と言ってしまえばそれまでだが、この文を見ながら、自己コントロールをしていた母の気持ちを考えると、切なくなった。
最も難しいものの1つが、自分の気持ちをコントロールすることだ。人を突き動かす原動力は欲望、恐怖、嫉妬であると書いた(先月のブログ参照)。年齢的には嫉妬はないだろう。元気で長く生きたいという「欲望」も、母は強くはなかった。孤独と体力的な衰えに対する恐怖はあったはずだ。その恐怖は計り知れないものがあっただろう。しかし、それ以上に、私や姉、他人に迷惑をかける恐怖と戦っていたのではないか?だから、「帰省してほしい」とも、「顔が見たい」とも、絶対に言わなかったし、火事を恐れてガスも使わなかった。結局、母は私に「会いたい」とは、一度も言わなかった。
母はどのようにして、自分の気持ちをコントロールしていたのだろうか?昨年までは小学生が横断する道路で、毎朝旗を持って立っていたらしい。夏のラジオ体操には、お菓子を参加賞として渡し、老人会の集まりには、カラオケの景品を配った。私はこの手の行動は苦手なのだが、母はいろいろ考えて、自分の心をコントロールしていたのではないか?私も「自分との戦い」の年齢に入る。その覚悟はできているつもりだが、母の領域にまで行くか?問われたら、さすがに自信はない。
飛行機の中で、家内は「お母さんは100点満点。些細な言葉に深い配慮が隠されていた。文句や嫌な言葉を言われたことはない」私「できの悪い息子を拾ってくれて、感謝してるんだよ、きっと」

残党(新型インフルエンザ)

この1週間、プライベートな話題を書いた。多くの励ましは、本当に嬉しかった。まだまだ、とても書き足りないのだが、お伝えしなくてはならないことが溜まってしまった。
1)病気の流行も少なくなって、今週は本当に静かになった。予防接種と健診がお薦め。時間内はいつでもOK。
2)5月中旬から、幼稚園を中心に、38度から39度が2日ぐらいで、セキの強い病気の流行があった。インフルエンザに類似していたが、症状は少し軽く、検査も陰性であった。数人の患者さんの協力を得て、咽頭からウイルスの分離を行っていた。結果が出るのに、3週間ほど要した。結論はパラインフルエンザウイルス1型と3型の流行であった。蛇足ながら、パラインフルエンザウイルスにはタミフル、リレンザは効かない。
3)大人を中心にインフルエンザの小流行があるという噂があった。当院は小さなお子さんが多いので、検査しても陰性が続いた。昨日、インフルエンザ陽性の小学生を経験した。結論的には昨年に流行した、新型インフルエンザと推測された。以下、興味のある方へ。
ラインジャッジ 001
上の検査キットで、Aにはっきりとしたラインが確認できる。A型インフルエンザである。下のキットはAソ連型(H1N1)とA香港型(H3N2)を区別するキットである。右のラインはAソ連型であることを示す。新型インフルエンザもAソ連型であり、季節型のAソ連型とは区別がつかない。しかし、ラインの濃さを上のキットと下のキットで比較してみよう。上と下で差がなければ、季節型のAソ連型、下のキットのラインが薄い場合には、新型の可能性が高い。下のラインが薄いため、現在流行しているインフルエンザは、昨年来の新型インフルエンザの残党と考えられた。
ラインジャッジ 004
参考までに、判定の基準を示す。ちなみに、左のラインのCはコントロールラインであり、検査が成功したことを示す。当然のことながら、Cにはラインがでる。

故郷

前回と前々回のブログの「拍手」、本当に有難く思っている。私の気持ちと「母の生」の、強いあと押しとなった。母には姉が付き添って、毎日の病状を知らせてくれる。兄弟がいることは、本当に心強い。日々の症状は、かなり変動があるものの、母の状態は少し落ち着いてきたようだ。しかし、認識能力は戻ってこないだろう。
脳幹部と小脳、脳の基底部に梗塞があったと聞く。小脳が傷害されると、運動機能がマヒする。立つことができない。木曜日は這って電話に出た。両手で身体を支えるしかないので、手での食事や水分補給ができない。姉が間に合って本当に良かった。今回の入院については、母には本当に不本意であっただろう。その話をしたら、次女があっさり言った。「不本意でない入院など、あるはずはない。入院する本人はみんな不本意だ」」一理はあるのだが、「このまま旅立たれても、我々に後悔の気持ちが残る」これは家内も同じ意見であった。我々の利己的な考えかもしれないが、今回の入院で、「砂時計がセットされた」と考えることにした。静かに砂が流れ落ちるのを待つ。砂時計を振り回したり、床に落っことしたり、途中で砂時計をひっくり返してはならない。現実には理想的な「死」などは存在しない。ピンピン、コロリでも、周りには後悔が残る。「死」とは難しいものだ。
前から書いてきたが、「人生で最も予期せぬ出来事は老い」であり、「100%避けて通れないのが死」である。祖母の介護を通じて、母は「死」を見つめてきた。火事を恐れて、この数年はガスを使っていなかった。ポットでお湯を沸かすこともなく、電子レンジも使うことはなかった。生のピーマンとパンをかじり、麦芽豆乳と牛乳を飲んで暮らしていたらしい(私は実態をほとんど知らない)。姉や家内、孫たちが食べ物を送っていたが、本人が食べたのかも不明である。
友人がお風呂で沈んで亡くなったこともあって、浴槽には入らなかった。水のシャワーか、近くの銭湯に時々出かけていたと聞く。信じられないような生活。弱った足を維持するために、部屋の壁に手を触れて、室内6000歩、腹筋50回をノルマとした。雨の日はベッドでラジオを聴いていたらしい。テレビは面白くない上に、目が疲れる。私はかわいそうなどとは、全く思わなかったし、逆に心の中でエールを送っていた。私が母だったら、同じ生活を選んだはずだ。自分の生まれた土地で、「静かに最後の生を生きる」。それが幸せではないのか?故郷とはそういうものだ。最後まで故郷に固執した、母の気持ちは良く分かる。知り合いもいて、思い出もある。
雨の中、タクシーの中から見た夜の別府の光景は、心を打つものがあった。人生のページを逆にめくるつもりはない。「この光景を、あと何回見ることができるのか?」という悲しみと、「私の故郷は東京に移った」という現実が交錯した。いつかは、母を東京に連れて帰りたいと思った。

涙雨

土曜日は6時前に、無事大分空港に着いた。飛行機に乗るとすぐに居眠りをするのだが、今回は眠れなかった。母の容態が心配というより、緊張感の方が強かった。おそらく、最後の会話になるのではないか。何を話すべきか?このような緊張感は、久しぶりのことであった。しかし、残念ながら、この緊張感は空振りに終わった。
空港でレンタカーを借りて、高速で大分に向かった。7時に病院に着いて母のベッドに。「母さん、タケシだよ」と呼びかけには、かすかに頷くものの、認識はできていなかった。手を握って、話しかけたが、会話にはならない。金曜日にCTとMRIの結果を聞いていたので、病態は理解できた。しかし、進行が早すぎる?
10日ほど前から「少し認知症が進んでいるようなので、時々電話をかけて」と、姉から連絡を受けていた。先週の日曜日に、やっと電話が繋がって、話ができた。ほとんど違和感はなかった。火曜日に姉からの再度依頼を受けた。足の自由が利かないらしく、電話になかなかでることはできない。私も仕事時間内には、電話をする余裕はない。木曜日の朝に電話が通じた。しかし、会話にならない。両足も自由には動かないらしい。姉は予定を1日早めて、奈良から大分に向かった。私は「間に合ってほしい」と願うだけだった。姉が着いた時の様子を聞いて、胸が痛んだ。1日遅れていたら、確実に旅立っていただろう。食べることも、飲むこともできなかったはずだ。
翌日に入院となった。時々、意識が戻ると、「長生きしすぎた」「死にたい」を繰り返して、困らせたらしい。10年前から、奈良でも東京でもいいから、一緒に住もうと誘っていたが、「動けなくなったら」と答えるだけで、その気がないことは明白であった。「自分の始末は自分でつける」という、強い意志を感じていた。今回の入院は、本人にとっては不本意以外の何物でもなかったであろう。しかし、私と姉にとっては、間に合って入院できたことが救いであった。
土曜日は8時過ぎにホテルにチェックインして、9時頃から横殴りの雨の中、家内と食事に出かけた。高速の別府インターの横の辺鄙なホテルで、辺りは真っ暗。車も少なく、市内に向かって歩き始めた。歩かずにはいられなかった。食事は無理かな?と引き返そうと思った矢先に、幸運にもタクシーが通りかかって、食事をすることができた。食事の途中で、家内が涙を見せた。ずっと我慢していたのだろう。家内「ごめんね。本当は貴方が一番つらいのに」私「ほとんど帰ることもなく、ほったらかしにして、親不孝者だ」家内は「バリバリ仕事をして、お母さんの自慢の息子だったと思うよ」と慰めてくれた。
先週の日曜日が、実質上の最後の会話となった。母の最後言葉は「君が仕事ができたのは、千代美さんのおかげだからね。分かってる?」であった。千代美とは家内の名前である。姉は「その言葉で十分ではないの。それが言いたかったんだよ」と言って、大分に来て会話ができなかったことを悔やんだ私を慰めてくれた。いや、姉の言葉は慰めではなく、的を得ていると私は思っている。
昨夜は眠れなかった。今日、姉と病院に行った。鎮静剤を使っているため、静かな寝顔であった。私は高校時代から、自分なりの死生観を持っている。母は「死と戦っている」のではなく、「生と戦っている」と感じた。私は主治医に伝言を残した。「積極的に治療はしないこと」。看護師の方は驚いた様子で「まだ、容態がどうなるか?」と言ってくれたが、「これは私の意志ではない。母の意志だ」と告げた。症状がどうなるかは、主治医でもわからないだろう。できる限り、長い「生」を全うしてくれることを祈っている。
母の手を握って別れを告げ、車で空港に向かった。梅雨に入った九州は、土砂降りの雨に10m先も見えない濃霧。まさに、涙雨であった。最後に、昨夜の家内との会話を書いておきたい。私「今日(土曜日)の診療は驚いた。あの人数を診察して12時半に終了。何とか間に合ってほしいという患者さんたちの思いが伝わってきた」家内「患者さんの気持ちが嬉しい。本当に心がこもっていたね」皆さんに感謝の意を伝えたい。(このような、長い話を書いていいのだろうか?と思っている。まだまだ、書き足らない。皆さんの役にたつのだろうか?)

緊急のお願い

明日(土曜日)の夕方の飛行機で、急遽大分に帰省することになりました。明日は早めに来院していただけると助かります。また、日曜の最終便での帰宅になるため、日曜日は診療できません。89歳の母が大分に1人住まいしていますので、大変申し訳ありませんが、ご了承下さい。
(追伸)
皆さんにご協力頂き、早く仕事を終えることができました。本当に感謝しています。余裕を持って、出発できます。有難うございました。

キュー(Q)君登場!

今年は寒い日が続いた。毎年、静岡からキリギリスを送っていただくのだが、今年は成長が遅くなった。昨年は、今頃P君が「ギーチョン、ギーチョン」と良い(?)声を聴かせてくれていたが、今年はまだ、もう1回の脱皮が必要である。最後の脱皮の後に、良い声を聴かせてくれるだろう。脱皮は失敗すると命取りになる大仕事。無事を願うしかない?
静岡の友人からの情報では、オス、メスの区別がつくようになった時には、大半がメス。オスは貴重とのこと。家内とその話題になった。家内が「何故、メスが多いの?」私「理由は簡単だよ。メスが強くて早く大きくなるので、オスが食べられるからだ」キリギリスも基本的には草食。しかし、動物性蛋白質も必要である。カゴにはカツオブシを入れる。多くの昆虫を飼うと、共食いは避けられない。お互いがエサとなる。自然界で生き残るには、オスは少なくてもかまわない。メスの数が子孫の繁栄に繋がる。私は小声で「人間も同じだわ。メスは危険で怖い」とつぶやいた。家内「何か変なこと言った?」私「空耳だよ、きっと」
キリギリス
私の手に乗ったQ君。大人にはなっていない。キリギリスは噛む。かなり鋭い歯を持っている。刺激しなければ安全。皆さん、今年も宜しくお願いします!(昆虫嫌い方には、謝るしかない?)

日本脳炎ワクチンの接種票の送付開始

世田谷区についての情報ですが。「日本脳炎ワクチンの定期予防接種が積極的勧奨再開される」ことになりました。いささか分かりにくいのですが、今まで送付中止となっていた日本脳炎ワクチンの接種票が、送付されるようになるという話。
杉並区は予防接種の問診票は、既に小冊子となって手元にあるはず(手元にない方は杉並保健所3391-1025に)。
(世田谷区の情報)
6月23日:今年の7月に3歳になる児童と、7月に4歳になる児童に送付。
7月1日:今年の4月から6月に3歳になった児童と、4月から6月に4歳になった児童に送付。
現在、2歳、3歳の方には、世田谷区では誕生日月に自動的に送付されることになります。4歳以上の方は、個別に接種票を取り寄せて下さい。ワクチンの接種量が2歳と3歳では異なります。問診票が送られてきても、3歳の誕生日を過ぎて接種することをお薦めします。蛇足ですが、当院では東京23区、調布市(3歳になったら送付される。電話での取り寄せは042-481-7111)、三鷹市(3歳になったら送付される。電話での取り寄せは0422-45-1151)、狛江市(3歳になる前月に送付される。電話での取り寄せは3430-1111)の方には接種ができます。

ホタル

前回のブログ(院長の正論)に、多くの拍手を頂き、本当に嬉しく思っています。有難うございました。たまには、まともな事を書くものですね。遅くなりましたが、今週の待ち時間は10分から20分ぐらいを予想。健診と予防接種は、診療時間内はいつでもどうぞ。
日曜日の夜、9時を過ぎてから、家内と久我山へ散歩に。久我山に住む患者さんから、「土日の夜はホタル祭りがあるので、ぜひ見に来てください」との誘いを受けていました。塚山公園から神田川沿いを歩き始め、環八を越え、富士見が丘を過ぎると、久我山駅の手前にうっそうとした木々が茂る場所があります。数十匹のホタルの発光を見ることができました。あのはかなげに飛ぶ光は、ヘイケボタルですね。ホタルの寿命は1週間ぐらいなので、まだ見ることができるかもしれません。ホタルの繁殖には、カワニナという巻貝と、サナギになる土手が必要。神田川の左右はコンクリートなので、残念ながら繁殖は不可能ですね。
大学時代には銀閣寺の近く、哲学の道の横に下宿していました。4畳半で風呂なしで共有トイレ。この時期、哲学の道沿いを流れる疎水には、ゲンジボタルが乱舞。私は日本酒を片手に、ホタルを鑑賞していました。ゲンジボタルは力強く、ヘイケボタルははかなげに光る。源氏と平家とは、うまく命名したものです。
川にカワニナが生息し、豊かな土手の広がる環境が、日本に多く残るといいですね。

辛口な院長の正論(診断書)

珍しく正論を書く。不快感を感じるかもしれないが、最後まで付き合っていただけると嬉しい。数日前の朝日新聞の投書欄に、世田谷の方の投書が掲載されていた。タイトルは「診断書7350円 3倍値上げに疑問」というタイトル。小児病院での話しなので、どこの病院かは想像できる。意見書や診断書などの文書料が、最近になって2310円から7350円に引き上げられたとのこと。慢性の病気で、いつもかかっているのに、という気持ちは理解できる。実際に診断書を書く私には、この7350円が高いのか、低いのか、正直のところ分からない。忙しい診療の中での診断書の作成は、精神的に苦痛であり、時間的にも書く負担は大きい。仕事と言ってしまえばそれまでだが、仕事なので報酬が付随するのは当然のことだ。
当院では小学校入試の診断書や、幼稚園の健康診断書などは、当院でも500から2000円の間で頂いている。簡単なものから、複雑なものまであるので、差はあるのだが、1000円ぐらいが平均である。健康な状態で来て、診断書を書くので、「カゼという病名にしておくので」と言って、診断書料を取らない医療機関もある。親切だと思うかもしれないが、保険機構から(我々の保険料から)、数千円という金額を、違法に得ることになる。病気でもないのに、診療したことにする完全な違法行為。親切ではなく犯罪である。診断書にに対して、ある程度の金額を頂くのは、当然のルールだと思う。
問題はアトピー、アレルギーの診断書である。保育園だけでなく、今年から小学校もアレルギー診断書が必要となった。3月は診断書作成に追われた。アレルギーの診断書は非常に難しい作業である。年齢、家族背景、これまでの症状、検査データなど全てを頭に入れて、総合的に判断して食事指導を文書に書く。大半の方が、土曜日の忙しい時間に「すぐに書いて下さい」と要求。このストレスは並大抵のものではない。かけだしの医師では、絶対にできない作業である。
私はその場で、ほとんどの診断書を書いた。多すぎて何枚書いたか記憶にないが、かかりつけの方なので、お金は取っていない。時々家内と議論になるのだが、普通は1枚5000円から10000円になるのだろう。私は「汚くて、読みにくい字だし、まあ無料でいいんじゃないの?」と言うと、家内は「あなたがそう言うなら」という会話になる。
困るのが、他の医院や公立病院で検査を受け、「このデータで診断書を」と要求される場合である。「すぐには書いてくれない」「お金を取られる」というのが、来院の理由である。診断書は「検査をした医師の責任」で書くべきである。少なくとも、判断料という名目で、わずかではあるが収入を得ているはずだ。私に書く義務はない。この要求には、さすがに応じられない。蛇足ながら、水痘などの病気の治癒証明書は問題なく無料である。
いろいろ辛口なことを書いた。診断書などの文書を書くことは、お金がかかって当然である。この点は、ぜひ理解してほしい。その金額は、病院のルール、医師の価値観に依存する。私がアレルギーの診断書を無料にしていることは、本当は間違っているのではないか?この投書欄の記事を見て、逆に私はそう思った。

日曜診療について

明日(6月5日、日曜日)の午後3時30分から4時30分の1時間診療します。お困りの方はどうぞ。6月にしては忙しいですね。
ブログをゆっくり書く時間も、なかなか取れません。政治もバタバタ、外国情勢も緊迫。日本の産業も、色々な問題を抱えています。布団の中で、なぜ忙しいのか?と考えていました。理由は2つ。予防接種が多いことと、アトピーの新患の方が多いこと。ヒブやプレベナー、サーバリックスといった新しいワクチンに加えて、日本脳炎ワクチンが解禁になりました。ここ数年来溜まっていた未接種の方が、取り寄せた問診票を持って、接種に来られています。予防接種は大切ですので、喜ばしいこと。
アトピーの患者さんは10月から12月生まれに多いのですが、発症は生後1ヶ月から3ヶ月。通常ならば、3月から4月にアトピーの患者さんが多いはず。しかし、ここにきていろいろな病院を回って、生後半年ぐらいで、当院にたどり着くケースが目立つようになりました。アトピーは検査、食事指導、生活指導、薬の説明など、大変手間も時間もかかる、やっかいな病気。私はアトピーが専門なのですが(静岡こども病院の感染免疫アレルギー科に10年勤務)、大変消耗する(私がですが)病気なので、できることなら知らないふりを決め込もうと思い、このブログでもアレルギーの話は、花粉症ぐらいに留めてきました。
最近の状況では、全く知らないふりという訳にはいきません。たまにはアトピー、アレルギーの話題が出てきますが、お付き合いお願いします。但し、暴言の部類になりますね、きっと。
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昨日のゾウカブトの幼虫は、いささか苦手な人もいるのでは。今回は世田谷産のコクワガタです。2センチ弱の成虫。世田谷産はとても小さい。これでもオス。昨年生まれて、越冬した。今は繁殖の季節。かわいいですね。癒されるのは私だけ?

ゾウカブト

昨年の10月に患者さんから、ゾウカブトの幼虫をいただいき、ブログに写真を載せました。今のところ、順調に育っています。昨年の4月生まれなので、成虫になるのは、秋ぐらいになるのでは?昨年生まれたオオクワガタ、コクワガタの幼虫は、蛹室(サナギの部屋)を作って、もうすぐサナギに変身します。成虫よりも、幼虫の成長を見る方が楽しい?人間も同じかもしれませんね。
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ゾウカブトの幼虫。かなり大きくなった。無事に成虫になるといいのですが。

舵取り

首相が退任した。このブログで政治を云々するつもりはない。「あいつは馬鹿だから」と言うのは簡単であり、酒の席ではかまわない。しかし、本質は誰が選んだのか?という点にある。選んだのが、我々であることを忘れてはならない。「天にツバする」という言葉に近い状態になる?
何でもそうだが、トップの無能は大きな災いとなる。私も小さな組織のトップであるが、舵取りの重要性は十分に認識しているつもりだ。舵取りのミスは、患者さんに迷惑をかけるだけでなく、スタッフの生活も脅かす。家内と議論に議論を重ねる理由もそこにある。独断も危険であり、熟考の末の結論は、速やかに実行に移す。
トップが独裁者であることも危険である。世界情勢が緊迫している状況で、トップが独裁者であると、とんでもない方向に走り出す。この数代、日本のトップは、情けないことに途中で責任を放棄した。でも、独裁者よりはましかな?と思っているのは私だけだろうか?このチンタラした国が安全であり、平和だと思われているので、現在の円高があるのではないか?私は独裁者でもないし、いい加減でチンタラしたトップでもないつもりだ。

100%の同意

私は議論は好きだ。しかし、議論の為の議論はしない。意味がないし、時間の無駄である。。政治のゴタゴタを見るにつけ、「何故、この問題をわざわざ出してくるのか?」と思う。自分で自分の首を絞めるようなものだ。不要な事は、言わないに限る。
しかも、まともな議論もしないで決定することは、最悪である。だいたい、結果ありきで、まともな議論がなされていないことが多すぎる。国民の全員が賛成、100%の同意などあるはずがない。100%の同意など、どこかの独裁国か、宗教の世界であり、本質とはかけ離れたものである。
大切なことは、本音で話すことだ。現実にできないならば、できない理由を本音で語らなくてはならない。格好悪いかもしれないし、非難されるかもしれない。しかし、説得力はあるはずだ。そこに同意が生まれる。
このブログで、政治や宗教について触れるつもりはない。抽象的なことを書いてしまったが、行間を理解してほしい。今の混乱は、本音がないことに起因すると思う。
実は診療も同じである。患者さんも本音で話し、医師も本音で説明する。その同意(合意)点が診断であり、治療である。合意のない治療はあり得ない。本音と本音、そこに合意はある。それが医療の本質だと思う。いつもながら、わけの分からないことを書く?