別府市立南立石小学校(くすの木)

恒例のタイトル?帰省した時に、母校である南立石小学校に立ち寄る予定はなかった。大分の最終日は、チェックアウト後に母に会って、空港に向かう予定であった。朝食前に扇山(太平山)に登るつもりで家内と出かけたのだが、自衛隊の駐屯地と雨に阻まれ、登ることができなかった。そこで、南立石公園の駐車場に車を停めて、傘をさして公園を散歩した。
歩いていると、小学校の運動場から子供の声。小雨でぬかるんでいても、野球の練習が始まっていた。階段を降りて、グランドで子供たちに挨拶。久しぶりの練習かな?と思ってしまった。今年の夏は九州は雨に祟られたようだ。私が「帰省しても晴れ間はないね」と言うと、ホテルのスタッフが「7月、8月は夏らしい日はなかったですよ。雨ばかりで」と。
私は阿蘇中岳、九重、由布、鶴見、扇山、伽藍岳に登る予定で、登山道具一式をホテルに送っていた。中岳は噴火し、九重は雲の中、扇山は駐屯地に阻まれ、「縄張りのマーキング」と家内が言う登山は、2つしか叶えられなかった。私の時代はサッカーなどの洒落たスポーツはなく、暗くなるまで野球で、地区の対抗野球に出ていた。野球の練習を見て、何だか懐かしくなった。
泊まったのは杉の井ホテル。昔は白雲山荘であったが、今は高齢者用のホームに変っている。日本一の規模を誇る杉の井ホテル。俗っぽいと思っていたのだが、昔の別府はここにある?と私は感じている。私の泊まる部屋は決まっていて、その広い板の間の部屋から眺める別府の夜景は最高であり、本当に心が落ち着く。そして、棚湯(名物のお風呂)の眼下には、南立石小学校が見える。
雨に祟られ、今年は私の苦手な別府の町を家内と歩いた。駅に車を止めて、飛行機の中で知った別府市場を歩き、流川通りから別府タワーに向かった。別府タワーは日本で3番目に古い(東京タワーより古い)事を初めて知った。登った記憶はないので、エレベータで登ってみることに。窓のガラスにはヒビが入り、古き良き別府の写真がそこにあった。帰りは激しい雨で歩行者の姿はほとんどなく、一抹の寂しさを感じた。
61歳になったが、何歳であっても生きているその時が、、私の人生である。18歳まで勉強が出来ても、運動神経が良くても、この年齢になっては何の意味もない(私は勉強が出来た訳でも、運動神経が良かった訳でもないので、意味がなくなった事を密かに喜んでいる。当時の予想は当たったと思う)。認知症が始まれば一緒だし、関節が動かなくなることもある。今からの時間の方が、今の私には意味がある。「静かに、そしてしなやかに、残りの人生を送ろう」と思いながら、別府の町を後にした。
南立石小学校
50年前と全く変らない「南立石小学校」の文字。「なぜ、こんな所に生まれてきたのだろう」と思っていたが、今ではここで生まれ育って良かったと思う。この表札の左側は2本の楠(くすのき)。南立石小学校と言えば、まずこの2本の楠を思い出す。(写真の左上に枝が写っている)