代理体験

最近は小説を読まなくなった。学生の頃は、4畳半一間(当然風呂はなく、トイレも共同)でひっくり返って、小説ばかりを読んでいた。人生で実際に経験することは、ごく一部であり、小説を読むことで実際に体験したような感覚となる。その経験(疑似経験とか代理経験という)を材料に、色々な事を考える。その意味で、純文学は意味があると思っていた。
仕事を始めて、「実生活は小説より奇なり」と感じるようになった。私の仕事は移動もないし、見える景色も変らない。しかし、臨床経験の中から、実に多くの事を考えさせられる。履歴書を書いて気づいたのだが、およそ36年の医師生活で、2カ所でしか仕事をしていない。これも極めて稀な履歴である。静岡県立こども病院で2年間の研修を終えて、感染免疫アレルギー科で9年、東京で開業してもうすぐ25年になる。
25年になると、患者さんは成人し、お母さんやお父さんが定年の年齢に、そして、助っ人に来られていた祖父母の方は、介護される年齢となる。親子3代のドラマがあり、人生がある。その人生は人それぞれであり、小説よりも言葉は悪いがドラマチックだと思う。こんな経験が出来る仕事は、おそらく私の仕事しかない。その意味で、私はとても恵まれていると思っている。
この経験を仕事や人生に生かしていきたい。これが、人間学であり、人生は人間学の集大成である。しかし、私が死んだら、この経験はすべてゼロになる。それが生物の掟。以前にアニマルライフというブログを書いたが、人生はアニマルスピリッツが原動力。闘争だけがアニマルスピリッツではなく、逃走があり、妥協があり、諦観もある。そのすべてを感じながら人生を送っている。価値観は自分で決めるもの。人生の価値観は、学んだ人間学の中にある。