コミュニティー

1年間で最も静かな診療です。少し流行があるのは、ヒトメタニューモウイルス感染と溶連菌ぐらい。花粉症や食物アレルギーに関する仕事もほぼ終了。今月は雨が多く、そして寒い。その影響もあって、MRワクチンのⅡ期も少ないですね。天気が回復したら、忘れずに接種を。来週も雨が多そうですが。
新学期が始まると、多くのサークルや部活の勧誘が始まり、1ヶ月もするといくつかのグループができる。1つの村社会。現代風に言うとコミュニティー。コミュニティーは連帯感があり、同じような目的をを持って行動することが多い。協調性のない私は、この村社会にはどうしても馴染めない。最大の欠点でもある。メダカの群れではないが、コミュニティーに属することは、1つの安心感に繋がる。
多くの人口があり、いくつかのコミュニティーがある状況では、はじき出されたり、1人で放浪していても、さほど孤独感も寂しさもない。ところが、少ない人口の場合には、コミュニティーの選択はできず、村八分という状況になる。田舎育ちの私は、村の掟を見て育った。とても田舎で暮らすという発想はわかず、都会で孤独に暮らす事を願っていた。
この歳になると、人は1人では生きていけず、人との繋がりは大切だと思う。祝日の早朝に散歩していると、公園で多くの方がラジオ体操している。ほとんどが私より年齢が上。まさに1つのコミュニティーである。会話したり、健康を確かめたり、悩みを打ち明けたりしているのだろう。
長年付き合ってきた友人、知人は大切である。ある意味、血の繋がりより。そこには長年培われたコミュニティーが存在する。短期間に出来上がったものではない。年老いた親を呼んで同居すると、不幸な結末をむかえることが多い。認知症が進んだり、鬱状態となる。コミュニティーを作ったり、コミュニティーに参加する体力や知力が残っていないからだ。また、環境が変ると、適応するのが大変である。その意味で、環境の変化は、高齢者には危険である。
私は村社会には属さないのだが、今の家族と仕事をしながら、人生を終えるしかないのか?と自問自答しながら生活している。若者はいくつかのコミュニティーを作り、多くの事を学ぶべきかもしれない。まあ、私が言っても、全く説得力はないのだが。