家族という病

このブログで書評を書くつもりはない。今ベストセラーになっている「家族という病」を手にした。元NHKのアナウンサーであった下重さんの書いた本。読みやすく、わかりやすい本。内容は十分に理解できる。感想は著者は多くの面で恵まれており、心に闇を持つ人だということ。
私は変ったポイントで反応する。唯一反応したのが、「夫を主人とは呼ばない。つれあいと言う」という内容。「うちの主人は」とか、「お宅のご主人は」というのは通常の会話。確かに主人とは「主な人」。家族の中心を意味する。差別用語と解釈出来るのか?私は全く差別用語という感覚はなかった。家内も私の事を「主人は」と表現している。
この本を読んで、私は主人という言葉に反応したのではない。このブログで、私のつれあいを何と呼ぶべきか?迷ったことがある。副院長とか妻と呼んでもいい。しかし、ピンとこないので、家内と表現することにした。主人の反対語が家内。つまり、家の内。これも差別用語となることに驚いたのだ。
つれあいとは、上品な響きである。パートナーとも呼ぶようだ。家内も私の事をつれあいとか、パートナーと呼ぶには抵抗がある。何だかニュアンスが違う。私は結婚した時から、家内のことを戦友と思っていた。子育てにおいても、仕事においても(子育ての戦力には、ほとんどなっていないが)。家内も同じ感覚のはず。私にとって家内は片腕であり、家内にとっても私が片腕である。お互いにイメージとして相手を呼ぶならば、片腕、戦友、同志、相棒が適当だろう。家内は同志が、私は右腕が最も相応しいと思っている。
私にとって家内は、最も信頼している右腕。左腕は娘たちである。家族は自主的に協力しあえば良い。姉は他人以下。別に強制する必要もない。良いも悪いもなく、自然の流れで構わない。それが家族である。