愛情

愛情、愛着にも色々な種類があるし、程度もある。動物は本能的に、我が子に愛情を持つ。愛情がない時には、種は継続されずに滅ぶので、種の保存という意味からも、愛情は1つの条件となる。しかし、母親は子どもに愛情を、子どもは母親に愛情を持つはずなのだが、突発的に例外は起こる。原則は原則であり、例外も認めるべきだ思う。
母親と父親の愛情は、全く同じとは言えない。どちらかと言えば、異質の物である。私の母もキャリアウーマンであり、家内も娘達もキャリアウーマンである。女性の社会進出は賛成であり、これからの社会は、女性の働きなくしては成り立たない。イクメンという言葉があるように、父親も子育てに参加。これも賛成である。しかし、私の本音は、「男性は子育てには適さない」である。育児は24時間の関わり。男性は気まぐれで子育てに参加する。子育てに「気が向いたら」という言葉はない。その意味で、私も子育てに参加するならば、失格というレッテルを張られるだろう。
私は母親と、母方の祖母の愛情に疑問を感じたことは一度もない。父については、どうしても気まぐれさが気になった。幼少期の愛情不足が、その後の性格に影響することは事実。すべてを愛情不足にする訳にはいかないのだが。遺伝的な素因もあるので、親が親なら、子どもも子どもというケースもある。私は愛情の善悪を議論するつもりはない。負担になる愛情もあり、子どもがスポイルされる愛情もある。
「愛情をいつ感じたか?」と言われると、具体的にはほとんど思い出せない。幼稚園の頃、母はセミ採りに連れて行ってくれた。田舎では野犬もいるし、危険な場所が多かった。「危ないので気をつけてね」と言った言葉に、私は愛情を感じた。でも、「遊びたい時に、1人で遊ぶ方が楽しい」と思って、その後は単独行動になった。祖母には「カスミアミと鳥モチがほしい」と言った。今は御法度の野鳥の捕獲である。当時も実際は御法度。学校から帰ると、私の机の上に、カスミアミと鳥モチが置かれていた。私は祖母の愛情を感じた。私は変なポイントで反応する。愛情を感じる時が、そのくらいしか思い出せないのは、愛情の存在が当然だったからだろう。意識できないぐらいの愛情が、子どもには最も良い愛情なのかもしれない。