別府市立山の手中学校(恩師)

前回の続きである。
担任の尾崎先生に会いたいと思っていた。言いたいことは、大げさではなく、山ほどあった。先生も同じ気持ちだったようで、まず、「三宅君、あの質問の答えはね」と切り出された。尾崎先生は英語の担当。生意気な私は、授業妨害を目的に、思い付きで質問をしていた。その時の質問の答えを先生は用意していた。大学ノートにはNew York Timesの切り抜きが貼られ、横にメモ書きが書かれていた。そのノートを見せながら、47年前の私の質問に答えていただいた。その質問を全く覚えていなかったことは言うまでもない。
尾崎先生は英語の小説を片手に歩く、とても斬新な先生であった。今回も挨拶は英語。ヘミングウェイの小説の話や、当時の英語の授業が話題となった。先生は84歳で、会話の中から毎日New York Timesを読み、英会話教室にも通っていると推測された。実に頭はシャープであり、私はタジタジとなった。思わず、「先生、すごい。普通にしゃべって、まっすぐ歩いている」と失礼な発言をしてしまった。探求心と語学は、脳を活性化する。使わぬ脳は劣化することを、身をもって示してくれた。逆に頭がシャープだから、我々に会いに来てくれたと考えるべきだろう。我々にかかわった、他の10名以上の先生の中で、特別な存在であることは、会話の中から感じ取れた。
私は尾崎先生と最後に会った日を覚えている。1970年の4月1日だ。先生の家で話をしている時、テレビはよど号ハイジャック事件を伝えていた。私は「佐藤君の病気は何だったのか?」と聞いた。中学を卒業した年の6月に、入院していたクラスメートが亡くなった。白血病だと思っていたが、その答えは尾崎先生しか知らないはず。「僕も知らないんだ」という意外な答えが返ってきた。
尾崎先生に会えて良かった。この会を企画してくれたクラスメートに感謝している。母の最期の言葉は、「タケシは本当に悪かった。担任の先生がかわいそうでならなかった」。母の頭に浮かんだ先生たちと、私の頭に浮かんだ先生たちは一致していないはず。私の頭には尾崎先生の顔がまず浮かんだ。
「君は人間が違うんだよ。そう思うよ。佐藤君が亡くなった時に、取り仕切ってくれて感謝している。君は優しくて、深い」と有り難いお世辞を言ってくれた。ホテルに帰って家内に話すと、「人違いじゃないの?」とあっさり。私の身を案じていたようで、「無事で良かった。みんな水に流してくれて」。