院長の独り言(パラリンピック)

毎朝6時に、天気予報を確認するために、NHKのニュースをつける。パラリンピックが始まってから、映像はパラリンピックの競技に。天気予報はない。オリンピックの時はそのまま映像を見続けることもあったが、パラリンピックになってからは、民放のニュースに切り替えてしまう。どうも見る気になれない。どうしてだろうか?4年後の東京を見据えて、国家をあげてパラリンピックを応援しているのは理解できるし、メダル獲得の知らせは嬉しいのだが。
オリンピックは民族間や国家間の身体能力の限界を知るという意味でも、作戦を立てる知的ゲームという意味でも、とても興味深い。また、国家間の交流や、平和活動とも理解できる。国家の経済格差も成績に反映されるとは思うが、基本的にドーピングがなければ、ほぼ平等の背景での競技である。パラリンピックも国家間の交流や、平和活動に寄与していると思うし、さらに障害を持つ方に希望を与え、多くの人の理解を得るという点でも、大きな意味を持つと思う。しかし、何だかすっきりしない。
原因は3つある。1つは聴力障害をかたった作曲家がいたが、障害の程度の客観性が解らないこと。出場者の障害の程度の均一性に疑問がある。2つ目は成績が身体的な能力なのか、義足などの補助器具の性能の問題なのかという点。豊かで技術力のある国の代表が、良い成績を収める可能性が高い。つまり、技術力を競っているのでは?3つ目は能力があるのに、経済的な理由で参加できない人が、他に多くいるのではという点。ある程度恵まれた人の中からの選抜であり、平等性に欠けるのではないか?
ついでに、これだけのお金をかけるのなら、多くの障害者の支援にまわすことができるのでは?と思ってしまう。私は斜めから物事を見るひねくれ者。家内に「国の経済力と技術力を競っているみたいで、何だかすっきりしない」と言うと、「そうね」という返事があった。家内もひねくれ者かもしれない。