別府市立山の手中学校(閉校)

数日前に「山の手中学校3年7組 尾崎組クラス会報」が送られてきた。3月に毎年「尾崎組」クラス会が決定している。今年は2回目。昨年の8月に私の帰省に合わせて、番外編のクラス会があった。私は今回はパス。
その会報には山の手中学校の正門で、参加者が微笑んでいる写真が掲載されていた。その写真は卒業アルバムに載った集合写真を撮った場所である。およそ50年の歳月を経て、同じ場所で恩師の尾崎先生を囲んで写真撮影できたことに、大きな喜びを感じた。85歳になった尾崎先生が、50年前と同じ部屋で英語の授業をしていただいたようで、その様子も撮影されていた。授業は「幸いに日本語で」というフレーズが添えられていた。先生は昔と変わらずしっかりされており、毎日40分は散歩され、英字新聞を愛読されているようだ。
当時、1学年10クラスで440名という、別府で最も規模の大きかった中学校も、閉校になるらしい。解体が始まる前に、当時のクラスでの授業が行われたようだ。新築だった校舎も50年の年月が流れた。授業を終えて、目の前の別府公園を散策して、クラス会が始まったようだ。別府公園の写真にも懐かしい顔があった。
東京や神奈川は別として、地方の人口減少が続いている。別府の人口も4万人は減ったのではないか?当然、高齢化が進んでいる。この現象は地方都市の宿命である。人口減少は経済活動に直結する。観光地の別府は、住んでいる人だけの消費ではないのだが。日本全体を考えても、人口減少は進む日本は、観光客とその消費への依存度が高くなっている。別府はミニ日本をあらわしているのかもしれない。
18歳で故郷を離れて、大学を卒業してからは、帰省することは少なかった。それも夏に帰るだけなので、春の別府、秋の別府、冬の別府を30年以上楽しんだことはない。まあ、大学時代を過ごした京都も、この30年で日帰りで2回行っただけ。まとまって時間が取れない仕事を選んだのは自業自得なのだが。
時代の流れで少子化が進み、山の手中学校は閉校になる。そして、送られてきたクラス会報が、数少ない故郷との繋がりとなった。会報を作って送ってくれた、昔のクラスメートに感謝したい。