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敬老の日

9月15日は敬老の日。大分の母に電話する予定。敬老の日は老人会の集まりで、歌を歌う予定のはず(帰省した時に練習を聞いてきました)。歌詞を忘れずに歌えるといいのですが。このようなイベントで、みんなが積極的に参加できるように、景品を出すことを提案し、効果はあったらしい。夏休みのラジオ体操にも、参加した子供たちへの景品を用意していたことを思い出しました。私は「教師の悪い癖」といつもの冷ややかな目で。
「敬老の日」。最初は「老人の日」と呼ばれていました(何だか後期高齢者とおなじネーミングですが)。初めての敬老(老人)の日のことは、はっきりと覚えています。1966年の9月15日、私は中学1年、天気は快晴。初めて祝日になったこともあって、いつもの如く梅干とタクアンとオニギリだけの弁当を持って(豊かではない時代、食事に差をつけないという小学校時代からのルール)、友人2名と早朝から昆虫採集に。奥別府からひたすら山道を歩いて昆虫採集に没頭。手には絹製の補虫網、テングチョウ、キアゲハ、ウラナミシジミなど大量で、ご機嫌で歩き続けました。
調子に乗りすぎて、歩きに歩いて、最後には道に迷い、大分市と湯布院の中間地点で日が暮れてしまいました。当時は携帯もなく、お金もほとんど持たず。これは捜索願いものかと後悔。しかし、時すでに遅し。とっさに、ヒッチハイクしかないと、狭い道で手を挙げたところ、親切にも一台目で止まってくれました。まさに地獄で仏。九州電力の車で、事情を話すと、「親が心配している。大分駅まで送ってあげる」と言って、駅まで送ってくれました。それから、汽車とバスを乗り継いで家にたどり着きました。当然大騒ぎ、警察に捜索願いがでる直前でセーフ。車で拾っていただいた方には、本当に感謝しています。
話は戻りますが、母のこの悪い癖、最近は見方が変わってきました。年をとって、社会からだんだん距離を置く生活。でも、社会との接点を作り、参加することが、長生きの秘訣ではないかと思うようになりました。どんな些細なことでもいいから、それに参加して話題を作る、内容ではなくその話題性が脳の活性化につながり、生きる意欲をかきたてる?最近、私はこれをarsonistと呼んでいます。つまり放火魔。悪い意味ではなく、いろいろな所に火をつけて歩く。どんな小さな火でも、燃えることでみんなと会話ができ、大切にされる。母は東京に住むつもりは全くなし。知らない土地ではarsonistにはなれません。気持ちはわかりますね。「長生きの秘訣はarsonistになること」ではないでしょうか?